近衛前久筆書状

- 人物
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作者近衛前久
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- コノエサキフサヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
近衛前久〈このえさきふさ・1536-1612〉は摂関家の嫡流として、従一位・太政大臣をきわめた。が、折柄、戦国乱世の中に運命を翻弄され、越後、摂津に出奔した。天正3年〈1575〉9月、織田信長の命をうけて薩摩に下り、島津義久の下降をすすめたが、応じなかった。同5年2月、むなしく帰洛。同10年6月2日、本能寺の変で信長横死を機に剃髪して、法名・龍山を号した。歌道・書道・有職故実・暦学など諸芸に精通、古今伝授を近衛稙家から受け、島津義久に授けている。和歌・連歌の作品を多く残す。諸国を歴訪、地方文化の向上・普及に貢献した。この手紙は西洞院時直〈にしのとういんときなお・1584-1636。時慶の子〉にあてたもの。まず、前月に貸与した『鷹百首』(前久が天正17年〈1589〉4月に著した歌書)を使者を通じて返却してほしいと申し送っている。また、昨年より貸与中の『源氏物語』についても同様の旨を記す。さらに、明日予定の連歌会に息男信尹(のぶただ)を介して参加を求められたが、先約があり不参を報じている。「山」は、前久の一字名。この手紙の書写年代は、考証の結果、慶長12年〈1607〉ころと推定される。この年、前久(龍山)は72歳。時直は24歳。文中に登場する時慶(ときよし)は56歳。信尹は43歳であった。結構の小さな温和な書風。豪放な信尹の書に較べ、父子の置かれていた立場、生き抜いた時代のすがたをまざまざと感知する。「去月の鷹百首、取りに参り候。此の者に給うべく。将亦(はたまた)、東山より御両所に申し入れ候去々年の源氏、是又、御隙(おひま)に馮(たの)み申し候由、申すべき由を度々(たびたび)、申し越し候。何様、御透(おすき)に来臨、待ち入り候。明日の連歌に拙老にも参り候半かと、一昨日の儀、信尹(近衛)より申され候へども、兼約(かねての約束)の子細候て、参らず、御残り多く候いき。旁(かたがた)、先参(まず参上)を期し候。謹言。/猶々、時慶卿(時直の父)へも此の旨、久しく面謁、能わざるも、御隙に来臨待ち入り候由、申し度く候。十月十四日山平少納言殿」
猶々、時慶卿へも此旨、久不能面謁も御隙ニ来臨待入候由、申度候。去月之鷹百首、取ニ参候。此者ニ可給。将亦、東山より御両所ニ申入候去々年之源氏、是又、御隙ニ馮申候由、可申由ヲ度々、申越候。何様御透ニ来臨待入候。明日之連哥ニ拙老ニも参候半歟と、一昨日儀、信尹より被申候へ共、兼約之子細候而、不参、御残多候キ。旁、期先参候。謹言。十月十四日山平少納言殿
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Konoe Sakifusa
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- *桐箱紙おおい 、包裂
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初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。