義尊筆書状

- 人物
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作者義尊(実相院)
- 年代
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制作年 AD15
- タイトル
- ギソンヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
義尊〈ぎそん・1601-61〉は、大乗院大僧正義尋(ぎじん)の子で、15代将軍足利義昭〈あしかがよしあき・1537-97〉の孫にあたる。天台宗寺門派(園城寺)の門跡寺院実相院(じっそういん)の門跡で大僧正にのぼった。実相院は、関白近衛基通〈このえもとみち・1160-1233〉の孫で、鷹司兼基〈たかつかさかねもと・1185-?〉の子、静基(じょうき)権僧正が、寛喜元年〈1229〉3月に近江国園城寺(三井寺)に入壇受法して実相院を号したことに始まる。応永年中〈1394~1428〉に、京都洛北岩倉(京都市左京区岩倉上蔵町)に移され、岩倉門跡とも称された。応仁の乱で類焼したが、義尊はその復興に尽力、以後の寺運興隆に貢献した。この消息は、「菅式部」すなわち後水尾上皇〈ごみずのおじょうこう・1596-1680〉近侍の女官を通じて、同上皇に差し出したもの。上皇の幡枝(はたえだ)への遊興に際し、義尊がそのもてなしを依頼されたことへの返書である。幡枝は、上賀茂岩倉にある地で、その近隣に、古来より貴族たちの水鳥遊猟の地として有名な深泥池(御泥池・みどろがいけ)がある。この地に上皇が御幸になるという。さまざまの手配を義尊周辺の者に指示する旨申し送っている。義尊の伝存稀有なる遺墨として貴重な存在である。「明日、幡枝へ成らせられ候事、昼時分、昼過ぎ程に候わん由、畏まり存じ候。皆々へその通り申し渡し候べく候。又、京への文受け取り申し候。今宵は、最早(もはや)便宣御座候まじく候とも、明日早々に持たせ遣わし候べく候。御心得候て御申し上げ参らせ候。かしく。/猶々、明日は爰元(ここもと)の御山の松茸取らせられて成らせられ候はんまま、ちと遅く御座候はん事、あの通り畏まり存じ申し候。尚々かしく。/菅式部殿参らせ候御返事義尊」
猶々あすハこゝもとの御山の松たけとらせられてならせられ候ハんまゝちとおそく御さ候ハん事あすはたえたへならせられ候事ひるあのとをりかしこまり存申候時分ひる過ほとにて候ハんよしかしこまり尚々かしくそんし候みなゝゝへそのとをり申わたし候へく候又京への文うけとり申候こよひハもはやひんき御さ候ましく候共あすさうゝゝニもたせつかハし候へく候御こゝろへ候て御申あけ候へく候かしく菅式部殿まいらせ候 義尊御返事
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ライセンスなど
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グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Gison
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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