日蓮筆書状断簡
- 人物
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作者日蓮
- 年代
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制作年 AD13
- タイトル
- ニチレンヒツショジョウダンカン
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
日蓮〈にちれん・1222-82〉は、鎌倉時代中期の僧で、日蓮宗の開祖。安房国(千葉県)小湊の漁師の子として生まれる。12歳で安房清澄寺(せいちょうじ)の道善房に天台宗を学び、16歳で出家、是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)と称した。のち比叡山・高野山・四天王寺など京畿の諸寺を巡歴、諸学を修めた。建長5年〈1253〉郷里の清澄寺に戻り、仏法の真髄は『法華経』にあると悟り、同地で日蓮宗を開いた。以後、各地を歴訪、布教につとめた。が、『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』を著し、『法華経』を信じなければ国難が襲うと予言、他宗を攻撃、幕府を批判したために、伊豆に配流、その後佐渡にも流された。文永11年〈1274〉に赦されてからは、甲斐国(山梨県)身延山(みのぶさん)に隠棲して著述活動や弟子の育成に専念した。日蓮には、自筆の典籍・書状が比較的数多くが伝存する。墨をたっぷりと含ませた黒々とした重厚な筆致の典籍類に比して、その書状は奔放自在、強烈な個性がにじみ出ている。これは、書状を切断した4行の断簡。おそらく熱心な日蓮宗信徒が、信仰の象徴として伝得していたものであろう。伝来途次、断簡ゆえに日蓮自筆の真偽を確かめるべく、日允〈にちいん・1619-92〉の極めを求めたのであろう。日允は、本阿弥光瑳〈ほんあみこうさ・1578-1637〉の子で、熱烈たる法華宗徒であった。当然ながら、日蓮自筆を証明する。内容はつまびらかにしがたい。が、文中「慰禅国」「波羅珠提王」は、律蔵経典類に登場する国名・王名である。『南伝大蔵経』には、「波羅珠提王は黄疸を患へり。……耆婆よ往け、慰禅国に往き波羅珠提王を治せ。……その時、波羅珠提王に跋陀羅婆提と名づくる牝象あり、……」などとあり、書状本文中の「水象」を想わせる内容で、これが日蓮宗の教理に関連するものであることが推測される。「(……)きなくして悦あり。水象を設けたりとひんづるをあなづりし程に、此の水象は尉禅(いせん)国の波羅珠提王の象なり。此の(……)/右四行四十七字(并びに仮名付、三字)、元祖大菩薩(日蓮)の御真蹟、敢えて異論に及ぶべからず。仍って証文を添うのみ。天和二年 壬戌/八月四日日允(花押)」
きなくして悦あり水象をまうけたりとひんつるをあなつりし程に此の水象ハ慰禅(ゐせん)國の波羅珠提國(王)の象なり此の[日允極]きなくして悦あり水象をまうけたりとひんつるをあなつりし程に此水象ハ慰禅(ゐせん)國の波羅珠提國(王)の象なり此 右四行四十七字并假三字名付 元祖大菩薩之御真蹟敢不可及異論仍添證文耳 天和二年壬戌八月四日日允(花押)
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Segment of Letter by Nichiren
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 日允紙中極め「きなく.... 右四行... 天和二年壬威 八月四日 日允(花押)
来歴
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