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松花堂昭乗筆書状

Keio Object Hub
人物
年代
制作年 AD17
タイトル
ショウカドウショウジョウヒツショジョウ
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001821-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
手書き フォント 木材 書き込み

松花堂昭乗〈しょうかどうしょうじょう・1584-1639〉は、江戸時代初期の真言宗の僧侶。法名は昭乗、名は式部。惺々翁(せいせいおう)とも号した。京都男山滝本坊実乗(たきもとぼうじつじょう)の弟子となり、その亡き後、住持となったが、のちこの坊(庵宝)を弟子に譲り、松花堂を建てて移り住んだ。高徳に加えて風雅な人柄が世人に敬慕され、関白近衛信尋〈このえのぶひろ・1599-1649〉をはじめ、石川丈山〈いしかわじょうざん・1583-1672〉、江月宗玩〈こうげつそうかん・1574-1643〉、沢庵宗彭〈たくあんそうほう・1573-1645〉ら儒者、禅僧など、当時の名士との交友深く、この時代の文化人としては第一級の人物であった。書は青蓮院尊朝法親王〈そんちょうほうしんのう・1552-97〉について御家流を学んだが、初祖弘法大師(空海)を渇仰して、ことに大師流(だいしりゅう)の書を好んだ。それらを習熟して、晩年には松花堂流(または滝本流)と呼ばれる流麗瀟酒な書風を完成した。昨日、一条摂政昭良(あきよし・信尋の弟)の屋敷にうかがった際、近衛信尋(のぶひろ)、同尚嗣(なおつぐ)ら近衛一族の方々ともども、来る29日に、打ち揃って、尾張大納言徳川義直(よしなお・寛永3年〈1626〉大納言)に挨拶に参上とのことを承知。徳川義直の母は、山城八幡の祠官志水加賀宗清のむすめで、家康に寵侍した於亀(おかめ)の方である。義直は生母の故郷なる八幡の昭乗を慕っていたのであろう。その由縁もあって、二条城の義直への面会に、昭乗の兄・中沼左京亮元知を同道してほしいと願い出たのである。義直は寛永11年〈1634〉7月の将軍家光の上洛に同伴しており、この手紙は、この時のものであろう。昭乗52歳であった。取り次ぎをした宛名の「藤式部」は、昭乗が日頃昵懇の公卿であろうが、誰であるかはにわかに特定できない。「昨日御目見え仕り忝く存じ候。昨日、摂政様(一条昭良)へ伺公致し候へば、近衛様(近衛信尋)、一(乗院)門(跡)様仰せ合わされ、来る二十九日、尾張大納言殿(徳川義直)へ御見舞い成さるべきの旨、御意に候。昨日の意の趣は具さに大納言殿へ申し入るべく候。尚々、御門跡様にも、御両御所と仰せ合わされ、御成り待ち奉り候。次に、いつも左京(中沼元知)も尾張殿へ御礼申し候間、供に召し連れられ下され候様に、御取り成し頼み奉り候。拙子(昭乗)も二十九日には伏見へ罷り出で御奉公仕るべく候。恐惶謹言。/猶々、拙子儀、今日帰山仕り候。又、やがて罷り上り祗候致し、御目見え申し上ぐべく候はば、御前、然るべき様に御取り成し仰す所に候べく候。早やかに罷り下り申し候間、御報に及ばず候。かしく。七(月)二十六日藤式部様滝本坊」

猶々拙子儀今日帰山仕候又やかて罷上致祗候御めみえ可申上候ハゝ御前可然様ニ昨日御めみえ仕忝存候御取成所仰候かしく昨日摂政様へ致伺公候へは早罷下申候間不及御報候かしく近衛様一門様被仰合来廿九日尾張大納言殿へ御見舞可被成之旨御意候昨日御意之おもむき者具大納言殿へ可申入候尚々御門跡様ニも御両御所と被仰合御成奉待候次ニいつも左京も尾張殿へ御礼申候間御ともに被召連被下候様ニ御取成奉頼候拙子も廿九日ニハ伏見へ罷出御奉公可仕候恐惶謹言七廿六日(花押)瀧本坊藤式部様貴却

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001821-0000
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CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

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斯道文庫
キャンパス 三田
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オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Shokado Shojo

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

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Letter by Shokado Shojo

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員数 1幅