徳川秀忠筆書状

- 人物
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作者徳川秀忠
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- トクガワヒデタダヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
徳川秀忠〈とくがわひでただ・1578-1632〉は、徳川家康〈とくがわいえやす・1542-1616〉の第三子。徳川2代将軍。院号を台徳院(たいとくいん)という。慶長10年〈1605〉将軍職を譲られ、28歳で正二位・内大臣、征夷大将軍となった。同19年〈1614〉従一位・右大臣、寛永3年〈1626〉太政大臣にいたる。一方、学問にも熱心で、文化人としても傑出していた。茶道を古田織部〈ふるたおりべ・1543-1615〉に学ぶ。また、「書流系譜」によれば、素眼流(そげんりゅう)にその名があげられる。この書状の宛名は、ちょうど中ほどに封(切封)がかけられていたため、筆の欠落があるが、「せいとく院」と読める。家康の長女亀姫〈かめひめ・1560-1625〉のこと。彼女は、天正4年〈1576〉7月、17歳で三河国新城城主奥平信昌〈おくだいらのぶまさ・1555-1615〉に嫁ぎ、嫡子家昌〈いえまさ・1577-1614〉ら四男一女を生む。元和元年〈1615〉、美濃国加納(岐阜市)にて信昌が死去すると、落飾して盛徳院と号し(56歳)、寛永2年〈1625〉5月、66歳で亡くなっている。文面によれば、歳暮の祝儀として盛徳院が秀忠に小袖一襲を贈ったことに対する礼手紙である。秀忠40歳代の筆か。「歳の暮れの祝儀として、小袖一襲贈り給わり候。誠に幾久敷と祝い入り参らせ候。猶、重ねて申し入れ候べく候。目出度くかしく。盛徳院殿秀忠/申し給へ」
としのくれの祝儀としてこそて一かさねをくり給候まことにいく久しくと祝入まいらせ候なをかさねて申入候へく候めてたくかしくせいとく院とのひて忠申給へ
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Tokugawa Hidetada
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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