Object

万里小路時房筆書状

Keio Object Hub
人物
年代
制作年 AD15
タイトル
マデノコウジトキフサヒツショジョウ
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-000913-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
ブランチ 矩形 木材 小枝 フォント

万里小路時房〈までのこうじときふさ・1394-1457〉は、室町時代前期の公卿。法号、建聖院。内大臣嗣房〈つぐふさ・1341-1401〉の子。18歳で後小松天皇〈ごこまつてんのう・1377-1433〉の蔵人、21歳の時に蔵人頭・左大弁、23歳で参議にのぼり、その後、応永32年〈1425〉権大納言となり武家伝奏・南都伝奏をつとめた。文安2年〈1445〉内大臣となったが翌年辞去。応永21年〈1414〉から康正元年〈1455〉にわたる日記『建内記(けんないき)』(『建聖院内府記』)は、欠失部分も少なくないが、当時の公家社会を知る重要な文献となっている。永享5年〈1433〉正月3日の後花園天皇〈ごはなぞのてんのう・1419-70〉の元服にあたり、その着装装束調進の旨、内蔵寮(御服裁縫の女工などが置かれ、内蔵頭が御服調進の職掌にあった)に下命があった。その装束の寸法につき、すみやかに報告すべきであることを「左兵衛権佐」に宛てて申し送っている。後花園天皇は、伏見宮貞成親王〈さだふさしんのう・1372-1456〉の子(彦仁親王)であったが、称光天皇〈しょうこうてんのう・1401-28〉の病死にともない、後小松上皇〈ごこまつてんのう・1377-1433〉は、彦仁親王を自らの猶子に迎えた。そして正長元年〈1428〉7月践祚、翌永享元年に即位して後花園天皇となった。時に10歳。その後、永享4年〈1433〉10月26日御元服定、同年12月9日御元服奉弊日時定、同15日御元服日定、同26日御元服御祈、と行事が着々と進められた。そして、翌永享5年正月3日の御元服の儀式当日を迎えたのである。この書状は、その間における、元服式前年の永享4年11月10日の出来事である。時に時房39歳であった。宛名の「左兵衛権佐」は、高倉栄豊〈ひでとよ・1407-78〉と思われる。当時、朝儀で天皇の加冠の儀の総角(結髪)、即位の際の礼服、大嘗会の帛の服・斎服など重要な装束の着装は、高倉家の専業であった。祖父永行〈ながゆき・?-1416〉は、『装束雑事抄』『法体装束抄』など、高倉流故実書の著者として有名である。「禁裏の御束帯已下、調進の事、内蔵寮へ仰せられ候の処、御寸法を下さるるの由申し候。忩(急)ぎ沙汰せめ給うべきの旨、勾当内侍、内々の奉書に候なり。恐々謹言。十一月十日時房/左兵衛権佐殿」

「万里小路状禁裏御元服御服事」(付箋書付)「御元服料」(異筆)禁裏御束帯已下調進事被仰内蔵寮候之処可被下御寸法之由申候忩可令申沙汰給旨勾当内侍内々之奉書候也恐々謹言十一月十日時房左兵衛権佐殿

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-000913-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

画像
ライセンス

所管・分類など

所管
斯道文庫
キャンパス 三田
URL
基本分類
美術

グループのオブジェクト

OPEN DATADESIGN

Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。

オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Madeno-koji Tokifusa

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Madeno-koji Tokifusa

物理的特性

重量と数量
員数 1幅