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飛鳥井雅章筆消息

Keio Object Hub
人物
年代
制作年 AD17
タイトル
アスカイマサアキヒツショウソク
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001447-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
手書き フォント アート モノクロ 矩形

飛鳥井雅章〈あすかいまさあき・1611-79〉は、江戸時代初期の公卿。雅庸〈まさつね・1569-1615〉の第三子で、初名は雅昭、寛永10年〈1633〉雅章と改名。兄雅宣〈まさのぶ・1586-1651〉の養子となり飛鳥井家を相続、従一位・権大納言に至る。雅経〈まさつね・1170-1221〉を始祖とする飛鳥井家は、代々、蹴鞠と和歌の二道をもって聞こえていた。特に歌道においては、二条・冷泉、両家に代わって台頭しており、また入木道(書道)においても一家をたてた。中でも雅章は、歌人として名高く、後水尾上皇より古今伝授をうけ、慶安元年〈1648〉の仙洞歌合では歌の善し悪しを判定する判者として列席したこともあるなど、大いに活躍した。その他、権大納言のほか、朝廷と幕府の連絡役である武家伝奏(ぶけてんそう)も務めている。また、書にも巧みで、雅親の栄雅流(飛鳥井流)の能書としても知られる。この書状は、高辻相公(相公は宰相公の略=参議の唐名)、すなわち高辻豊長〈たかつじとよなが・1625-1702。初名良長〉に宛てたもの。豊長が参議に在ったのは延宝3年〈1675〉から同5年までの間であり、すなわちこれは、雅章65歳から67歳の筆跡と知る。管墨のたしなみを知るゆえに、豊長から筆を贈られたことへの礼を述べたもの。達筆な筆遣いに加えて、独特の字形は、雅章独自の書風である。冒頭、「密教院」は、聖護院を中心にした修験道本山派の院家の一つであろう。また、返し書きにみえる「聖護院宮」は、後陽成天皇の第11皇子、道晃法親王〈どうこうほうしんのう・1612-79〉をいう。元和7年〈1621〉11月、10歳で聖護院に入室している。「昨日は密教院御坊御使いに預かり候へども、参内致し賢慮を得ず、御残り多く存じ候。いまだ其元に御逗留に候哉、御心得に預かるべく候。就中、御約束の筆給い候。則ち御見候所、一段宜しく存じ候。大悦に存じ候。其の段、面上を期し御礼申し入るべく候。謹言。/猶々、今朝飯の後、聖護院宮へ御礼に参るべくと存じ候。昨日、爰元へ御出にて恐悦に候。旁、御礼に参るべく候。貴様目出候。已上。十二日雅章/高辻相公雅章」

[端裏書]高辻相公雅章……………………………………………………猶々今朝飯後聖護院宮へ御礼ニ可参と存候昨日ハ密教院御坊預昨日爰元へ御出ニ而恐悦候旁御礼ニ可参候御使候へとも致参内貴様目出候已上不得賢慮御残多存候いまた其元ニ御逗留候哉可預御心得候就中御約束之筆給候則御見候所一段宜存候大悦ニ存候其段期面上御礼可申入謹言十二日雅章高辻相公雅章

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001447-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

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斯道文庫
キャンパス 三田
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美術

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オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Asukai Masaaki

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

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タイトル(英題)
Letter by Asukai Masaaki

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員数 1幅