里村昌琢筆消息

- 人物
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作者里村昌琢
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- サトムラショウタクヒツショウソク
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
里村昌琢〈さとむらしょうたく・1576-1636〉は、江戸初期の連歌師。昌叱〈しょうしつ・?-1603〉の長男で、母は里村紹巴〈じょうは・1524-1602〉のむすめ。初名は景敏、のち慶長4年〈1599〉のころから昌琢を名乗る。竹斎・懐恵庵・花の下・拝北庵などを号した。慶長13年〈1608〉法橋に叙せられ、元和3年〈1617〉父の遺領百石を知行、花の下の宗匠として、柳営連歌の指導的地位にあった。また、寛永3年〈1626〉には後水尾天皇〈ごみずのおてんのう・1596-1680〉から古今伝授を受け、同9年には法眼に叙せられ、同13年〈1636〉に没するまで毎年京より出府、御城連歌に加わり、連歌界の重鎮として活躍した。西山宗因〈にしやまそういん・1605-82〉・松江重頼〈まつえしげより・1602-80〉ら俳諧師との交遊も多く、のちの俳諧の世界にも多大の影響を及ぼす存在であった。この書状は、武部藤右衛門(伝不詳)から、歳暮の祝儀として、諸白(酒の異称)1樽、胡椒1袋を贈られたことへの礼状。また、志摩守から蜜柑1籠が届けられたことにつき、謝意の伝言を依頼。昌琢の書は、とくに短冊には里村家代々に共通する定家流を示すものが多い。が、これにはそれがまったく見られない。卒意に執筆した書状ゆえに独自の個性があらわれている。「昨日は御尋ねの処、他行せしめ面上能わず、御残り多く存じ候。殊に諸白(酒)一樽、胡椒一袋御意に掛けられ候。重宝、ともに過分に存じ候。年内余日これ無く候間、来春御上りの刻申し承るべく候。将亦、志摩殿(志摩守)よりの蜜柑二籠御届け、慥かに拝し申し候。書状を以って申し候間、便宜に御下し頼み申し候。猶、風音を期し存じ候。恐惶謹言。十二月二十日昌琢/武部藤右衛門様人々御中竹斎昌琢」
昨日者御尋候処令他行不能面上御残多存候殊諸白一樽胡椒枡一袋被掛御意候重寶共過分ニ存候年内余日無之候間来春御上之刻可申承候将亦志广(=摩)殿より之蜜柑二籠御届慥拝申候以書状申候間便宜ニ御下頼申候猶期風音存候恐惶謹言十二月廿日昌琢竹斎 武部藤左衛門様 昌琢 人々御中
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グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Satomura Shotaku
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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