二条為明筆消息

- 人物
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作者二条為明
- 年代
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制作年 AD14
- タイトル
- ニジョウタメアキラヒツショウソク
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
二条為明〈にじょうためあきら・1295-1364〉は、鎌倉・南北朝時代の公卿・歌人。二条為藤〈ためふじ・1275-1324〉の子。和歌に通じ才学があり、歌会では講師になるなど、晩年、歌壇で活躍した。将軍足利義詮〈あしかがよしあきら・1330-67〉に重用され、さらに後光厳天皇〈ごこうごんてんのう・1338-74〉の命により、『新拾遺和歌集』の撰者となるが、作業半ばにして他界した。『太平記』(巻第二・僧徒六波羅召捕事付為明詠歌事)に、為明が、後醍醐天皇〈ごだいごてんのう・1288-1339〉の北条高時〈ほうじょうたかとき・1303-33〉討伐の儀に加わった嫌疑で六波羅に捕らえられ、まさに刑に処せられようとした時、「思ひきや我が敷島の道ならで浮世のことを問はるべしとは」と一首を詠じ、駿河守常葉範貞(とこはのりさだ)の感銘を得て赦免されたという一件がある。その事を報じたのが、この消息。宛名が省略されているのは、事をはばかったからであろうか。内容から推して、ごく親しい人に宛てたものと思われる。紙背に文字の痕がみられ、これは、一時期、その紙背を転用して何かを書写(冊子本)していた紙背消息と知れる。『太平記』の記述を裏づける資料として貴重な遺墨である。「あらあら申し、進じ候。十八日に六波羅へ召し捕られ浮世の中、今ぞ限りならんと思い居りし折柄に、駿河守参りし程に、よしや是は心ある武士なりと思い出し、硯置てかく申し侍りき。「思ひきや我敷島の道ならで浮世の事を問はるべしとは」と申し出して、害を逃れ参候。憂かりし世の習とは知りながら、今更に涙はとどめ難く候。 為明(花押)」
あらあら申しんし候十八日に六波羅へ召とられうきよのなかいまそかきりならんとおもひおりしをりからに駿河守参しほとによしや是ハ心ある武士なりとおもひ出し硯置てかく申侍りきおもひきやわかしきしまのみちならてうきよのことをとはるへしとはと申出してかひをのかれ参候うかりし世のならひとはしりなからいまさらに涙はとゝめかたく候為明(花押)
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ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Hiragana Letter by Nijo Tameakira
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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