愚極礼才筆詩書屏風

- 人物
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作者愚極礼才
- 年代
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制作年 AD15
- タイトル
- グキョクレイサイヒツシショビョウブ
- 材質・技法・形状
- 紙本墨書
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
愚極礼才〈ぐきょくれいさい・1370-1452〉は、室町時代の臨済宗聖一派の僧。礼才は法諱、愚極は道号で、別号に曹渓(そうけい)・風月主人がある。山城(京都府)の人。普門寺第97世、南禅寺第145世、東福寺第149世などを歴任したのち、東福寺中の曹源院に退隠し、83歳で示寂した。『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』を著した、相国寺の瑞渓周鳳〈ずいけいしゅうほう・1391-1473〉と親交があり、外典(仏教以外の書物)の故事等について談論するのが常であったという。書画をよくし、自画賛の遺品が少なくない。愚極の扁額を掲げると火難を免れるとの伝説を生み、その書は大いにもてはやされた。七言四句を大書したこの屏風にも、愚極の書技の非凡であったさまが如実に表われている。第二句の「徳山」は唐の臨済僧・徳山宣鑑(とくざんせんかん)、「臨済」は臨済宗の祖である臨済義玄(りんざいぎげん)のこと。弟子を指導するにあたり、徳山は痛棒(座禅のとき、心の定まらない者を打ち据えるのに用いる棒)を加え、臨済は大喝(大声で叱ること)を与えたという。第三句の「棒喝」は、その厳しい禅修行を表わすことばである。現存遺墨中、大字の遺品として稀有なもの。子爵土井家旧蔵。揮毫に際して大きな紙が用意できなかったため、各扇、五紙を継いで一紙に仕上げているのが、注目される。「南北東西鉄一団。徳山・臨済転身難し。更に言う、棒喝何処にか帰す。天はこれ高く、地はこれ寛し。(印「愚極」)」
南北東西鉄一団徳山臨済転身難更言棒喝帰何処天之高兮地之寛(印「愚極」)
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Chinese Poem on Folding Screen by Gukyoku Reisai
物理的特性
- 重量と数量
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員数 6曲1隻
- 材質・技法・形状
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材質 外箱:木製漆塗り
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