葡萄図
- 人物
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作者松花堂昭乗賛者石川丈山
- 年代
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制作年 AD17 制作年 江戸時代(17世紀)
- タイトル
- ブドウズ
- 寸法
- 97.1×29.6
- 材質・技法・形状
- 紙本墨画
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
松花堂昭乗〈しょうかどうしょうじょう・1584-1639〉が描いた水墨画の葡萄図に、石川丈山〈いしかわじょうざん・1583-1672〉が賛を加えた作品。 松花堂昭乗は、近衛信尹〈このえのぶただ・〉・本阿弥光悦に並んでわが書道史における「寛永の三筆」として知られる。もともとは山城国男山の石清水八幡宮の社僧。俗姓は中沼氏。名は式部、別に空識・惺々翁などを号した。滝本坊実乗に師事、実乗没後の滝本坊を継いだ。寛永14年〈1637〉、甥の乗淳に同坊を譲ってからは、滝本坊の南に方丈松花堂を建てて風雅を友として晩年を過ごした。高徳にして温雅な人柄が世に迎えられ、関白近衛信尋〈このえのぶひろ・1599-1649〉をはじめ、小堀遠州〈こぼりえんしゅう・1579-1647〉・林羅山〈はやしらざん・1583-1657〉・沢庵宗彭〈たくあんそうほう・1573-1645〉・石川丈山らと親しく往来した、当代一級の文化人であった。賛を加えた石川丈山は、当代きっての書家・漢詩人として知られる。後年は、洛北の一乗寺に居を構え、中国の詩人36家の画像を掲げ、詩仙堂と称して閑居した。六六山人・凹凸窩などを号した。唐様趣味に徹して、とくに書は当時にあっては珍しく隷書を得意とした。簡略な筆致で葡萄の1房を描いた洒脱で枯淡な水墨画を下方に配して、上方には、丈山が得意の隷書で七言二句の詩を加賛する。絵と書の配置の妙が美しい作品で、両者の交流の深さを示している。「的々たる(輝く)紫房(葡萄の実)は雨を含みて潤い、疎々たる(まばらな)翠幄(緑色の帳=葉)は風に向かいて開く。六々山人書す。(印「六々山洞凹凸窩夫」)」
的々紫房含雨潤疎々翠幄向風開六々山人書(印)
石川丈山(1583-1672、別号六々山人【ろくろくさんじん】)はこの時期を代表する漢詩人の一人で、書家としても特に隷書体を得意としたことで知られる。もともと徳川家康に仕えた武将であるが、大坂夏の陣の後、牢人となり京都で藤原惺窩に学ぶ。その後広島浅野家に仕えるが、母の死後京都に戻り、現在詩仙堂として知られる洛北一乗寺に隠棲、当時の京都文化人と広く交流した。特に絵の作者である松花堂昭乗(1582-1639、石清水八幡宮に所属する僧侶で、書は本阿弥光悦【ほんあみこうえつ】・近衞信尹【このえのぶただ】とともに寛永の三筆と称される)とは親しかったようである。葡萄は縁起の良い画題(多産の象徴)として中国・朝鮮で親しまれてきたもので、日本でも伊藤若冲が好んで描いたことが知られる。多くは力強い枝や伸びた蔓に生命力を託す描き方だが、本作品はむしろ丈山の書を主役としているのか、薄墨で下方にまとめて小さく描かれている。丈山の記した七言二句は、明の詩人、馮琦【ひょうき】(1558-1603)の七言律詩「葡萄」の第5・6句を摘句したもの。紫色の房のような実が雨に潤っていっそう粒立ち、緑色の幕のような葉が風に揺られてまばらになっている、というもので、的確な描写である。【翻刻】(印「三陽泉郷人石川重之」)」的々紫房含」雨潤疎々翠」幄向風開」六々山人書(印「六六山洞/凹凸窠夫」)(堀川貴司)「唐様前夜―林羅山とそのコミュニティ」展(2024.1 慶應義塾ミュージアム・コモンズ)図録 掲載
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Grapes
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。