立花宗茂像
- 人物
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賛者琢玄宗璋
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- タチバナムネシゲゾウ
- 材質・技法・形状
- 絹本着色
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
立花宗茂〈たちばなむねしげ・1569-1642〉は桃山~江戸時代初期の武将。大友氏の一族、筑後の高橋鎮種の子。豊臣秀吉の九州征伐、その活躍によって柳川に領地を得て大名に取り立てられた。以後、秀吉の小田原征伐、文禄・慶長の役に出兵して輝かしい軍功をたてている。天下無双の大将として、東の本多忠勝に対して西の大将に挙げられたほどであった。が、関ヶ原の戦では豊臣方に属したために所領を没収される。その後曲折あって、両度の大坂の陣には徳川方での参陣を経て、徳川秀忠・家光の庇護のもと、再び大名として取り立てられ、ついには、柳川藩初代藩主として復権を果たした。晩年は、権限を養子忠茂に譲り、寛永15年〈1638〉出家、立斎と号した。宗茂の画像としては、土佐光起筆の画像(大徳寺大慈院蔵)に代表される衣冠束帯の宗茂像が一般的であるが、この画像は、晩年出家して立斎と号した晩年の宗茂の法体姿に表わしたもの。画像図上には、「大円院殿前飛州太守従四位松隠茂公大居士肖像」と題する、大徳寺第183世・琢玄宗璋〈1597-1685〉の賛語が書写される。それによれば、立花家の近臣で帯刀長であった木付茂慶(木付氏は、大友氏の家臣)なる人物の依頼によるものであることを知る。没後まもない時期に企図されたものであろう。
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Portrait of Tachibana Muneshige
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 包裂(ウコン)
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。