土佐光茂筆柿本人麿像(三条西実隆賛)

- 人物
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作者土佐光茂賛者三条西実隆
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- トサミツシゲヒツカキノモトノヒトマロゾウ
- 材質・技法・形状
- 紙本着色
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
歌仙信仰の長い歴史の中で、柿本人麿は歌道の聖として崇められ、人々からひときわ高い信仰を集めてきた。以来、人麿を祀る人麿影供(人麿供とも)が生まれた。これは、歌会において、床に人麿の画像を掛け、歌聖柿本人麿を供養する儀礼で、歌道の向上を願い、あるいは歌会の成功を祈ったのである。平安時代・12世紀から起こった風習である。上畳に坐し、萎烏帽子・直衣姿の人麿が立て膝で座り、前に硯箱を置き、筆と料紙を両手にして歌を按ずる類型の構図である。上部には金泥で草花を下絵にほどこした色紙形を貼り込み、人麿の詠歌2首を散らし書きにする。付属の前田香雪〈まえだこうせつ・1841-1916。明治時代の美術家・鑑定家〉の鑑定副簡によると、賛の筆者を三条西実隆〈さんじょうにしさねたか・1455-1537〉、画は土佐光茂〈とさみつしげ・生没年未詳〉と伝える。賛に見える、懐の広いおおらかな書風は、まさしく実隆の自筆に疑いない。この書風は、後土御門・後柏原・後奈良と3代に仕えた実隆が歴朝共通の書風(勅筆流)の影響を受けて形成されたもので、以後、三条流の名で流行する。この賛が実隆の自筆となると、年代的に考えても、人麿像の筆者を伝承の土佐光茂と考えて矛盾がない。光茂は、室町時代後期の土佐派の画家で、光信の子。大永3年〈1523〉ころに宮廷の絵所預となり、享禄5年〈1532〉には刑部大輔に任ぜられている。この2人のコンビによる作品となると、高貴の誂えによるものであったことが想定される。なお、賛の和歌2首のうち、1首目は『古今和歌集』(仮名序・巻第六(冬歌))および『拾遺和歌集』(巻第一)に、2首目は『古今和歌集』(巻第九)に、それぞれ人麿の詠歌として収められるものである。
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Kakinomoto no Hitomaro by Tosa Mitsushige
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 極書
来歴
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