Object

Kakinomoto no Hitomaro by Tosa Mitsushige

Keio Object Hub
Person
Date
制作年 AD16
Title
トサミツシゲヒツカキノモトノヒトマロゾウ
Materials, techniques and shape
紙本着色
Collections
Depository
Keio Museum Commons Campus Mita
Ref. number
AW-CEN-002398-0000
License
CC BY Images license
Creditline

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
Classification
Art
AI Tagging
Photograph White Art Font Hat

歌仙信仰の長い歴史の中で、柿本人麿は歌道の聖として崇められ、人々からひときわ高い信仰を集めてきた。以来、人麿を祀る人麿影供(人麿供とも)が生まれた。これは、歌会において、床に人麿の画像を掛け、歌聖柿本人麿を供養する儀礼で、歌道の向上を願い、あるいは歌会の成功を祈ったのである。平安時代・12世紀から起こった風習である。上畳に坐し、萎烏帽子・直衣姿の人麿が立て膝で座り、前に硯箱を置き、筆と料紙を両手にして歌を按ずる類型の構図である。上部には金泥で草花を下絵にほどこした色紙形を貼り込み、人麿の詠歌2首を散らし書きにする。付属の前田香雪〈まえだこうせつ・1841-1916。明治時代の美術家・鑑定家〉の鑑定副簡によると、賛の筆者を三条西実隆〈さんじょうにしさねたか・1455-1537〉、画は土佐光茂〈とさみつしげ・生没年未詳〉と伝える。賛に見える、懐の広いおおらかな書風は、まさしく実隆の自筆に疑いない。この書風は、後土御門・後柏原・後奈良と3代に仕えた実隆が歴朝共通の書風(勅筆流)の影響を受けて形成されたもので、以後、三条流の名で流行する。この賛が実隆の自筆となると、年代的に考えても、人麿像の筆者を伝承の土佐光茂と考えて矛盾がない。光茂は、室町時代後期の土佐派の画家で、光信の子。大永3年〈1523〉ころに宮廷の絵所預となり、享禄5年〈1532〉には刑部大輔に任ぜられている。この2人のコンビによる作品となると、高貴の誂えによるものであったことが想定される。なお、賛の和歌2首のうち、1首目は『古今和歌集』(仮名序・巻第六(冬歌))および『拾遺和歌集』(巻第一)に、2首目は『古今和歌集』(巻第九)に、それぞれ人麿の詠歌として収められるものである。

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AW-CEN-002398-0000
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CC BY
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慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

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Depository and ID

Depository
Keio Museum Commons
Campus Mita
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Classification
Art

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OPEN DATADESIGN

Details

Identifiers

Title (EN)
Kakinomoto no Hitomaro by Tosa Mitsushige

Physical description

Weights and quantities
Quantity 1幅
Attachments
極書

Provenance

前田香雪による極あり

Identifiers

Title (EN)
Kakinomoto no Hitomaro by Tosa Mitsushige

Physical description

Weights and quantities
Quantity 1幅
Attachments
極書

Provenance

前田香雪による極あり