砲術書巻
- 人物
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作者津田重次
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- ホウジュツショカン
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
書き出しに自由斎家伝之鉄砲秘術数通之抄并薬種調合之極位云々」とある。すなわち、江戸時代初期、とくに慶長頃に起こった「自由斎流」砲術に関わる伝書で、その秘伝を「佐々木将監」に伝えるべくしたためられたものと思われる。天文12年〈1543〉8月にポルトガル人から鉄砲・火薬が将来され、以来、射撃技術に秀でた名射手が登場する。なかでも、津田算長(監物とも。〈?-1567〉)は、わが国最初の砲術とされる津田流砲術の創始者として知られる。算長には算正〈?-1585〉・自由斎(杉之坊照算。〈?-1585〉)の二子があり、とくに自由斎の名は高く、以後「自由斎流」砲術の一派を立てた。この冒頭「自由斎……」は、この自由斎流砲術を示すもの。この巻物は、「慶長十七暦〈1612〉極月(12月)」に書写されたもの。署名に「津田宮内」「重次」とある。算正の子(自由斎の甥)に重長がおり、重次もその周辺の人物と推察される。が、豊臣秀吉の紀州征伐〈天正13年・1585〉で算正・自由斎が討死、以後没落して、主家を転々とした末に帰農する運命を辿る津田氏の系図は定かでなく、重次の存在を確認することはできない。記録・系図類に「津田重次」の名は散見されるが、いずれも砲術家の津田氏とは系統を異にする。また、稲富流の砲術師に稲富宮内重次〈1587-1633〉がいるが、津田氏との関わりは認められず、別人であろう。一方、書風の面から見ると、近衛信尹〈1565-1614〉を祖とする近衛流で書写されていることから、近衛流の能書として知られる津田弁作〈生没年未詳〉を想起させる。津田弁作の伝歴は詳らかではなく、わずかに、文政2年〈1819〉の『皇朝名画拾彙』や幕末の『古画備考』などで知られるのみ。それらによると、小笠原家に仕えた寛永年間〈1624~44〉の武士で、弁作は通称、名は吉春、弁喜門と号したとある。確たる根拠はないが、その筆跡から弁作に結びつけることが可能かもしれない。なお、宛名の「佐々木将監」は、元禄年間〈1688~1704〉に創始される「佐々木流」砲術の祖、佐々木成季の先祖にあたる人物と推量される。
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Gunnery
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1巻
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