後崇光院筆短冊

- 人物
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作者後崇光院
- 年代
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制作年 AD15
- タイトル
- ゴスウコウインヒツタンザク
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
後崇光院〈ごすうこういん・1372-1456〉は、伏見宮家初代の栄仁(よしひと)親王の第二王子。名は貞成(さだふさ)。父栄仁親王が没した翌年の応永24年〈1417〉に、兄の治仁王(はるひとおう)も没したため、伏見宮家第3代を継いだ。同32年に親王宣下を受ける。後小松上皇の猶子となっていたことにより、称光天皇についで皇位につくであろうと噂されたが成らず、失意のうちに出家した。法名は道欽(どうきん)。それから3年後の正長元年〈1428〉、後崇光院の子彦仁(ひこひと)親王(後花園天皇〈ごはなぞのてんのう・1419-70〉)が即位し、文安4年〈1447〉には太上天皇の尊号を受けた。日記『看聞御記(かんもんぎょき)』は、当時の世相を知る根本資料である。この短冊は、『新拾遺和歌集』(巻第十七)に入集する後宇多院〈ごうだいん・1267-1324〉の釈教歌(仏教思想を詠み込んだ歌)を書写したもの。署名はないが、筆跡は明らかに後崇光院の自筆疑いなきもの。署名を記さないのは、歌が古歌ゆえのこと。短冊の書写にあたっての故実である。後崇光院の書は『古筆分流』では「一流のもの」の項に掲げられている。能書ゆえの特別扱いをされたのである。勢いのあるのびやかな書風は、高い品格を示している。
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オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Tanzaku by Gosuko-In
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1葉
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