近衛信尹筆詠草

- 人物
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作者近衛信尹
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- コノエノブタダヒツエイソウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
近衛信尹〈このえのぶただ・1565-1614〉は、桃山から江戸時代の公卿。関白近衛前久〈さきひさ・1536-1612〉の子。初名は信基。天正10年〈1582〉信輔に、慶長5年〈1600〉信尹に改名した。号は三藐院。21歳で従一位・左大臣に至る。文禄元年〈1592〉豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍を企てたが失敗し、同3年、後陽成天皇の勅勘を蒙り、薩摩に配流となった。島津義久の厚遇を受けて、坊津、のちに鹿児島に移され、3年後に許されて帰京。慶長10年〈1605〉関白・氏長者となる。歌道・書道に秀で、とりわけかれのつくりあげた独特の書風は、三藐院流(近衛流)と称され、多くの追髄者を輩出した。本阿弥光悦〈ほんあみこうえつ・1558-1637〉・松花堂昭乗〈しょうかどうしょうじょう・1582-1639〉とともに「寛永の三筆」の一人に数えられる。これは、「信輔」時代の、18歳から36歳の間の執筆である。二句を記し、そのいずれか一方を選択すべく送ったもの。左に合装されるのは別紙である。福島正則〈ふくしままさのり・1561-1624〉の一句と考えられる。署名に「羽左太」とあるように、秀吉から羽柴姓を賜った人で、左衛門大夫の在任期間は天正13年〈1585〉から天和3年〈1617〉。信尹の「信輔」期とほぼ一致する。「信輔/卯花も八重垣つくる砌哉/かつ咲くや友待つ雪の花卯木/二つの内、相定められ、その方にて書付けられ給うべく候。/夏の月明け行くかたや郭公/正則/羽左太」
信輔卯花も八重垣つくる砌哉かつ咲や友待雪の花卯木ふたつの内被相定其方にて被書付可給候 夏の月明行かたや郭公正則羽左太
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Draft Kaishi by Konoe Nobutada
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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