烏丸光広筆和歌懐紙
- 人物
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作者烏丸光広
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- カラスマルミツヒロヒツワカカイシ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
烏丸光広〈からすまるみつひろ・1579-1638〉は江戸時代初期の公卿・歌人。准大臣光宣〈みつのぶ・1549-1611〉の子。叙爵(従五位下に叙せられる)以来、順調に昇進したが、慶長14年〈1609〉、宮廷女房らと集団密通事件を起こし、後陽成天皇〈ごようぜいてんのう・1571-1617〉の勅勘を蒙り配流の身となった。が、徳川家康〈とくがわいえやす・1542-1616〉の仲介により赦され、還任後は正二位・権大納言にまで至った。多才多芸にして和歌や連歌・書画・茶道などを能くし、また一絲文守〈いっしぶんしゅ・1608-46〉に帰依して禅をも修めた。和歌は細川幽斎〈ほそかわゆうさい・1534-1610〉に学び、古今伝授を受けて、家集『黄葉和歌集(こうようわかしゅう)』を残した。また能書家としても知られ、「寛永の三筆」と並び称される。当初は公卿の子弟が学ぶ、伝統的な持明院流の書を学んだが、光悦流・定家流を経て、後年、光広流ともいえる不羈奔放な自流の書風を生み出した。これは、元和元年〈1615〉9月9日の重陽の節会に、「菊花久芳」の歌題を冠して詠まれた和歌懐紙である。光広の書風は、持明院流、光悦流、定家流を経て、独自の光広流へと変遷するが、これはまさしく定家流で書かれる。かれが上代様を好み、ことに歌道において、定家の筆跡に追慕の情を示した様子がうかがわれる遺墨である。このとき、光広は41歳。同年に権大納言・従二位に昇った。「重陽、同じく「菊花、久しく芳る」ということを詠める和歌/権大納言藤原光広/思ふより今日待ち出でし匂ひ哉まして千年の秋の白菊」
重陽同詠菊花久芳和歌権大納言藤原光広おもふよりけふまちいでし匂ひ哉ましてちとせの秋のしらぎく
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ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Waka Kaishi by Karasumaru Mitushiro
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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