細川幽斎筆詠草
- 人物
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作者細川幽斎
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- ホソカワユウサイヒツエイソウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
細川幽斎〈ほそかわゆうさい・1534-1610〉は、桃山時代の武将、茶人。三淵晴員〈みつぶちはるかず・1500-70〉の子。将軍足利義晴〈あしかがよしはる・1521-46〉の子ともいわれる。冷静な判断力と知略をもって、足利義輝、義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の権力者に次々と仕え、激動の乱世を生き抜いた。天文8年〈1539〉細川元常〈ほそかわもとつね・1482-1554〉の養子となり、同15年〈1546〉足利義輝から一字を与えられ、藤孝と称した。天正10年〈1582〉、本能寺の変の際、明智光秀が縁戚にあたることから即時に剃髪し、幽斎・玄旨と号した。かれはとくに和歌をよくし、有職故実に通じた当代屈指の文化人であった。三条西実枝に師事して、古今伝授を受け、桂宮智仁親王、さらに後水尾天皇へと伝授した。この詠草は、位署に「兵部太(大)輔」とあることから、かれが19歳から47歳の間の執筆と知る。第一首目は『後拾遺集』に所収される大江嘉言〈おおえのよしとき・?-1010〉の詠歌である。練熟した手馴れた筆致から推して、少なくとも40代前後に達していたのではなかろうか。かれの遺墨は、大半が剃髪して幽斎を号してからのち、すなわち晩年期のものが多く、その壮年期の筆跡を伝えるものとして、すこぶる貴重である。「兵部太輔源藤孝/君が代は千代にひとたびいる塵の白雲かゝる山となるまで/常磐なる松と竹との末の世をいづれ久しと君ぞみるべき」
兵部太輔源藤孝君が代は千代にひとたびいるちりのしら雲かゝる山となるまでときはなる松と竹との末の世をいづれ久しと君ぞみるべき
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Draft Kaishi by Hosokawa Yusai
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 大倉汲水(己卯夏)極
来歴
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