策彦周良筆詠草
- 人物
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作者策彦周良
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- サクゲンシュウリョウヒツエイソウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
策彦周良〈さくげんしゅうりょう・1501-79〉は臨済宗の僧侶。明への進貢貿易に活躍した。丹波の人。亀陰、謙斎などと称した。永正6年〈1509〉、京都の北山鹿苑寺の心翁等安に師事し、同15年、天龍寺で剃髪した。戦国の武将で中国地方の大名である大内義隆〈おおうちよしたか・1507-51〉の請に応じて、天文8年〈1539〉、同16年と二度に渡り入明を果たし、世宗に優遇された。帰朝後は天竜寺妙智院に住した。幼少期から詩文の誉高く、生涯に多くの詩作を残し、五山文学の巨匠としても名高い。これは、和歌一首に、策彦の識語と署名からなる一紙。和歌は『六花和歌集』(私撰集。貞治3年〈1364〉頃成立)の巻第一・春歌に所収の、中務卿(=宗尊親王〈むねたかしんのう・1242-74〉)の歌である。それに対し、この掛幅の識語には「これも慈鎮和尚の歌と逍遥院殿定められ候なり」とある。というのも、『六花集』では、この歌の前歌は慈鎮(=慈円〈じえん・1155-1225〉の作であり、おそらく歌学者・三条西実隆〈さんじょうにしさねたか・1455-1537〉がこの歌を吟味し、『六花集』に記載の作者名「中務卿」は誤りで、前歌と同じく慈円の作とみなした、ということを記したものであろう。
雪ならばいくたび袖をはらはまじ花のふゞきの志賀の山越これも慈鎮和尚の御哥と逍遥院被定候也亀陰謙斎書
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ライセンスなど
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Draft Kaishi by Sakugen Shuryo
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
- 付属品
- 了意極札
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