智仁親王筆書状
- 人物
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作者智仁親王(八条宮)
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- トシヒトシンノウヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
智仁親王〈としひとしんのう・1579-1629〉は陽光太上天皇〈ようこうだじょうてんのう=誠仁親王・1552-86〉の第6皇子。後陽成天皇〈ごようぜいてんのう・1571-1617〉の同母弟にあたる。はじめ豊臣秀吉〈とよとみひでよし・1536-98〉の猶子となるが、のち一家を創立、八条宮(はちじょうのみや)と称した。ついで正親町天皇〈おおぎまちてんのう・1517-93〉の養子となり、親王宣下、名を智仁と賜る。式部卿に任じられ、一品に叙された。また桂離宮の創始者となって桂宮の初代を称する。和歌の奥義を細川幽斎〈ほそかわゆうさい・1534-1610〉に学び、美術・茶道・華道と、当時の天下第一の文化人であった。ことに和歌と書には非凡の才能を発揮した。智仁親王の母が、勧修寺晴右〈かじゅうじはるすけ・1523-77〉のむすめ新上東門院(しんじょうとうもんいん)勧修寺晴子(はるこ)であることによって、この手紙の宛名「勧修寺中納言」は、晴右の孫・光豊〈みつとよ・1575-1612〉ということになる。かれが権中納言に在任したのは、慶長9年〈1604・智仁親王26歳〉から同17年〈1612・同34歳〉の間となる。智仁親王30歳前後の筆跡である。光豊から送ってきた詠草は、だいたい出来の良いものばかり。「朝霞」の題の一首には、自らの意見を加筆しておいたが、中でも、「関郭公(せきのほととぎす)」の詠歌は格別の上出来だと、感心の旨を書き送っている。「御詠草見せ給い候。存ぜずながら取り取り殊勝に見え申し候。「朝霞」愚意などには、 猶以って御付け候分、延び候て閣候て申し候か。「関郭公」別して御秀逸と奇特千万、御羨ましく存ずるりに候。かしく。今日はちと先約候て、不参に候。二十五日智仁/勧(修寺)中納言」
今日はちと先約候て不参ニ候御詠草みせ給候乍不存取々殊勝ニみえ申候朝霞愚意なとにハ猶以御付候分のひ候て閣候て申候歟關郭公別而御秀逸と奇特千万御浦山敷存計ニ候かしく廿五日勧中納言智仁
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グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Prince Toshihito
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1紙
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