智仁親王筆書状
- 人物
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作者智仁親王(桂宮)
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- トシヒトシンノウヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
智仁親王〈としひとしんのう・1579-1629〉は陽光太上天皇〈ようこうだじょうてんのう=誠仁親王・1552-86〉の第6皇子。後陽成天皇〈ごようぜいてんのう・1571-1617〉の同母弟にあたる。はじめ豊臣秀吉〈とよとみひでよし・1536-98〉の猶子となるが、のち一家を創立、八条宮(はちじょうのみや)と称した。ついで正親町天皇〈おおぎまちてんのう・1517-93〉の養子となり、親王宣下、名を智仁と賜る。式部卿に任じられ、一品に叙された。また桂離宮の創始者となって桂宮の初代を称する。和歌の奥義を細川幽斎〈ほそかわゆうさい・1534-1610〉に学び、美術・茶道・華道と、当時の天下第一の文化人であった。ことに和歌と書には非凡の才能を発揮した。この書状は、今夜(3月4日)は甲子(きのえね)の日、話し相手が誰もいないで困っているので、もし都合良かったら是非おいでいただきたい、との意。古来、甲子の日は、甲子待(こうしまち)・甲子祭(きのえねまつり)と称して、日待(ひまち)や庚申待(こうしんまち)と同様に、寝ずに雑談して過ごすことが、京都を中心に起こった習俗であった。3月4日が甲子となると、文禄元年〈1592〉に限定される。智仁親王は14歳であった。差出所の「色」の一字は、当時、宮廷・堂上・武将・連歌師などが簡便に使用した一字名(いちじな)。記載の省略に眼目があった。「昨日は御所労の処に、又々申し候いつる、如何候哉。今夜、甲子にて候。誰も伽なく候間、もし、もし御心良く候はば、待ち申し候。少しも煩わしく候ば、御無用に候。今日も又御酒にて候間、たまらず候。三月四日色(智仁一字名)」
たまらす今日も又候御酒にて候間昨日者御所労処に又々申候つる如何候哉今夜甲子にて候たれも伽なく候間もし/\御心よく候ハゝ待申候少も煩敷候ハゝ御無用ニ候三月四日色
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グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Prince Toshihito
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1枚
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