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林羅山筆書状

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人物
年代
制作年 江戸時代(17世紀)
タイトル
ハヤシラザンヒツショジョウ
寸法
33.1×46.2
材質・技法・形状
紙本墨書
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-002453-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
手書き 矩形 フォント 木材 荷物とバッグ

林羅山〈はやしらざん・1583-1657〉は、江戸前期の儒者。名は信勝、字は子信。法名道春(どうしゅん)。少年期には京都・建仁寺の禅僧について学んだが、慶長9年〈1604〉藤原惺窩〈ふじわらせいか・1561-1619〉に師事、羅山は、師・惺窩が命名した儒学者としての名である。早くから朱子学に深く心を潜め、尋常ならざる博識であったという。翌年には二条城で徳川家康〈とくがわいえやす・1542-1616〉に謁見、命により僧形(剃髪)となり道春と称した。やがて、江戸に下向して、以来、徳川幕府歴代将軍の侍講をつとめた。朝鮮通信史の応接、文書・諸法度の起草、史書の編纂など、幕府の中での地位はゆるぎないものにした。寛永6年〈1629〉民部卿法印(四位相当)に叙任、翌年には、江戸上野忍岡に屋敷が与えられ、家塾(のちの昌平黌)を始める。が、明暦の大火で江戸城中の書物を焼失した失意の中に病死。75歳であった。これは古筆家の初代、古筆了佐〈こひつりょうさ・1572-1662〉宛の書状。了佐およびその子息までが将軍家から御褒美でも頂戴したのであろうか。それに羅山も一役買っていたのであろう。その慶賀を祝し、近いうちの登城の機会に面会を期待した内容。羅山の交友の広さを示すものでもある。「芳札披閲忝なく候。然れば昨日御仕合能く(運よく)御暇出で申し候。御息達迄、種々拝領、御大慶之由、其の意を得候。尤もと存じ候。近日、御登り候はん由、いつ比にて候や。承り度く候。猶、面上の節を期し候。恐々謹言。以上。即刻道春/了佐老御報道春法印」

以上芳札披閲忝候然者昨日御仕合能御暇出申候御息達迄種々拝領御大慶之由得其意候尤存候近日御登候ハん由いつ比ニ而候や承度候猶期面上之節候恐々謹言即刻(花押) 了佐老道春法印 御報

筆跡鑑定を家業とした古筆家【こひつけ】の初代了佐【りょうさ】(1572-1662)に宛てた書状である。このような日常的な筆跡においては、林羅山筆元旦試毫(AW-CEN-000134-0000)・林羅山筆和歌懐紙(AW-CEN-000740-0000)に見られたような特徴的な書風を示す場合と示さない場合とがあるが、本書状はかなり特徴を表したものになっている。内容は、了佐が子息たちを連れて江戸に下り将軍あるいは幕府重臣に拝謁したときのことを羅山に報告した書状への返事で、首尾良く終わったことを喜んでいる。了佐の子のうち一人は別家を立て、その二代目から幕府に仕えることになる。本家は京都で存続し、明治維新後東京に移住、その家に残された膨大な鑑定関係の資料が、現在センチュリー赤尾コレクションに伝わる。箱と表装裏側に本家十代古筆了伴の極が直書され、他に十三代了信の極札が附属する。【翻刻】以上」芳札披閲忝候。然者昨日御」仕合能御暇出申候。御息達迄」種々拝領、御大慶之由得其」意候。尤存候。近日御登候ハん由、」いつ比ニ而候や、承度候。猶期面」上之節候。恐々謹言」即刻 道春(花押)」了佐老御報 道春法印(堀川貴司)「唐様前夜―林羅山とそのコミュニティ」展(2024.1 慶應義塾ミュージアム・コモンズ)図録 掲載

オブジェクトの概要

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-002453-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

画像
ライセンス

所管・分類など

所管
斯道文庫
キャンパス 三田
URL
基本分類
美術

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オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by HAYASHI Razan

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

識別情報

タイトル(英題)
Letter by HAYASHI Razan

物理的特性

重量と数量
員数 1幅