平清邦筆書状

- 人物
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作者平清邦
- 年代
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制作年 AD12
- タイトル
- タイラノキヨクニヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
この手紙は、「御菓子」を贈られたことに対する礼状である。今日、菓子といえば、甘い嗜好品をいうが、もともと「菓」の原字は「果」であり、「勅日、橘者、果子之長上、人之所好」(『続日本紀』天平8年〈736〉11月条)と見えるように、古くは木の実や果物を指して「果子」「菓子」と呼んだものであった。差出所に「左兵衛尉平清□」と署名する。最後の1字が欠失しているのは、この手紙が紙背文書として伝存したことを示すもの。紙背に「□□法之記全」とかすかに透けて見える。おそらくは、仏事供養の次第を書写したものであったであろう。手紙を含む反故紙を何枚も綴じて冊子をつくった際に最下部が切り落とされたのである。中央に見える筋目は冊子の折り目である。ところで、この「左兵衛尉平清□」とはいったい誰であるのか。付属の古筆鑑定家・朝倉茂入(古筆了佐の高弟)の極札によれば、「平清邦」の筆という。まず、書風から明らかに平安時代の古様が見て取れる。『尊卑分脈』などを手掛かりに平氏一族に「清□」を名乗る人物を探ってみると、平清盛〈たいらのきよもり・1118-81〉の一系に6人が見出される。が、その中の一人、藤原邦綱〈ふじわらのくにつな・1132-81〉の第3子の清邦〈きよくに・生没年未詳〉が注目される。邦綱は、もとは関白藤原基実〈もとざね・1143-66〉の家司。基実没後、藤原氏の中で孤立しながらも、清盛との絆を深め、その子清邦を清盛の養子としたのである。ただ、この清邦についての詳しい伝記はわかっていない。治承2年〈1178〉叙爵、同4年正五位下(丹波守)、寿永元年〈1182〉11月、安徳天皇〈あんとくてんのう・1178-85〉の大嘗会にあたり、主基方の国司として奉仕した、といった断片的な事跡しか残らない。むろん、真跡遺品も伝存しない。が、粘りと鋭さを秘めた筆線、懐が狭く、縦長の字形は、まさしく、平安時代末期に一世を風靡した法性寺流(法性寺入道・藤原忠通〈ただみち・1097-1164〉の書流)の書風そのものである。清邦の自筆という積極的な根拠はない。しかし、それを否定するなにものもない。いまは、江戸時代初期の鑑定を尊重して、藤原邦綱の子・清邦の筆跡としておきたい。「御菓子、員の如く給い候。凡て、面目かぎりなき事に候。申し尽くすべからざる者なり。恐恐謹言。正月十六日。左兵衛尉平清邦」
(端裏書)「□□法之記全」御菓子如員給候凡面目かきりなき事候不可申尽者也恐恐謹言正月十六日左兵衛尉平清□衆徒御中
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Taira no Kiyokuni
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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