本阿弥光悦筆書状

- 人物
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作者本阿弥光悦
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- ホンアミコウエツヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
本阿弥光悦〈ほんあみこうえつ・1558-1637〉は、桃山~江戸時代初期の能書家・工芸家。徳友斎・大廬庵を号した。室町時代より刀剣の磨研・浄拭・鑑定の三業で知られる本阿弥家に生まれる。父光二(こうじ)の分家に伴い、この家職から半ば解放され鷹ヶ峰に芸術村をつくり、そこで書画・蒔絵・陶器などにすぐれた芸術作品を生み出し、その才能を発揮した。書においては「寛永の三筆」の一人として知られる。慶長期〈1596~1615〉には、俵屋宗達下絵の華麗な料紙に展開した彼の筆致は、上代様を基盤に光悦の個性が加味された豊麗なものであった。が、元和期〈1615~24〉に入ると、中国宋代の張即之(ちょうそくし)や空海の書の影響をうけた、肥痩の著しい新たな書風を展開した。いわゆる光悦流である。角倉素庵・小島宗真・尾形宗謙ら多くの追従者を出している。茶道においても、古田織部に学び、小堀遠州に並ぶ傑出した存在であった。この9月10日付の手紙は、光悦が甥の本阿弥光室〈こうしつ・1583-1625〉に宛てたもの。北国の初鮭が江戸に到来したので、光室は京都の光悦に贈った。これは、その礼手紙である。光室は光悦の姉・妙光が本阿弥光徳〈こうとく・1554-1619〉に嫁して、その間に生まれた一子。当時、幕府の刀奉行をつとめて、江戸に居住していた。まず、光室からの8月28日付の手紙が、光悦のもとには9月7日の夜に着信したことを報告。さらに、光室のむすめ、お千の成人した様子を光瑳(こうさ・1578-1637。光悦の養嗣子)から承っていること、到来の鮭を早速翌8日に、包丁を入れて料理、光悦一家の者たちが大喜びで賞味したと告げている。光悦一家の団欒ぶりを示す、なごやかな一通である。なお、最終行の「回章」は、この書状が返書であることを示している。「八月二十八日の貴札、七日の夜、拝見。何れも御消息の由、目出たき義に存じ候。此方、同じ事、御心易かるべく候。お千殿、御成人、満足申す儀に候。先度、光瑳従り、具に申さる旨に候。将亦、初鮭、上し下され候。則ち、八日、口切(新茶の茶事)仕り候。皆々、驚き入られ候。御懇意の至りに存ずる儀に候。尚、追而、申し上ぐべく候。恐惶謹言。/九月十日徳友斎光悦/光室翁様回章」
八月廿八日之貴札七日之夜拝見何御息災之由目出義存候此方同事可御心易候お千殿御成人満足申儀候先度従光瑳具被申旨ニ候将亦初鮭上被下候則八日口切仕候皆々被入驚候御懇意之至存儀候尚追而可申上候恐惶謹言徳友斎九十日光悦(花押)光室翁様回章
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Hon-ami Koetsu
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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