紺紙金字一字奇特仏頂経(巻第三)
紺紙金字経は、藍で紺色に濃く染めた料紙に金字で経文を書写するもの。界は金泥あるいは銀泥で引かれる。紺色の料紙は七宝の1つである瑠璃を象徴するものであり、金銀と相俟って仏国土の世界を表わす手法であった。「紺瑠璃之紙、象教垂跡、紫磨金之文、雁行成字」(『本朝文粋』)や「瑠璃の経巻は霊鷲山の暁の空よりも緑なり。黄金の文字は上茅城の林よりも黄なり」(『栄花物語』)とあるように、紺紙と金字の組み合わせはそのまま仏国土へ連想が及んだのである。すでに奈良時代からその萌芽は見られるが、とくに平安時代に入ると、末法思想や浄土思想の芽生えによって、貴族社会に法華信仰や阿弥陀信仰などが浸透する。結果、盛んに行われた仏事供養にともなっておびただしい写経が生み出された。装飾経の代表たる「久能寺経」や「平家納経」にはその荘厳の豪華さでは及びつかないが、その分量では紺紙金字経のほうが群を抜いて多く制作された。こうした紺紙金字経は、金銀泥で宝相華唐草文を描いた表紙、釈迦説法図や経意絵を描いた見返しをともなっていた。現存するおびただしい遺品がそれらを証明する。この「紺紙金字一字奇特仏頂経」もこうした時世粧の中に制作されたものであった。が、書写された経典の『一字奇特仏頂経』(不空訳・3巻)は、密教部の特殊な経典で、これが単独で書写されたとはとうてい考え難い。すなわち「一切経」の一部と考えるのが妥当であろう。となると、「荒川経」のうちの1巻であった可能性が高い。「荒川経」は、鳥羽皇后美福門院(=藤原得子〈ふじわらのなりこ・1117-60〉)が、保元元年〈1156〉に崩御した鳥羽上皇〈とばじょうこう・1103-56〉の三周忌菩提供養とみずからの滅罪生善を祈願して、平治元年〈1159〉7月、高野山に六角堂建立の際奉納した、「紺紙金字一切経」のこと。その際に美福門院の所領であった紀伊国荒川庄を寄進したことからこの名に呼ばれる。金字の秀麗さや表紙・見返し絵の精巧さでは、「中尊寺経」や「神護寺経」に一歩譲るが、平安時代後期の紺紙金字一切経の遺品として貴重な存在である。
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Kitoku-Bucchokyo Vol.3
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1巻
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