近衛信尋筆書状
- 人物
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作者近衛信尋
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- コノエノブヒロヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
近衛信尋〈このえのぶひろ・1599-1649〉は、江戸時代前期の公卿。後陽成天皇〈ごようぜいてんのう・1571-1617〉の第4皇子。伯父信尹〈のぶただ・1565-1614〉に嫡子が無かったため、7歳でその養嗣子となった。弱冠25歳で関白・氏長者に至るという飛躍的な累進を遂げた。一方、茶道は古田織部〈ふるたおりべ・1543-1615〉に学び、関白(元和9年〈1623〉に関白となって以後、諧謔して「セキシロ」と自称)と称して島原の遊郭へ通っては、名妓吉野太夫に執心するという磊落な粋人ぶりも発揮した。また、その書は、養父信尹に就いて幼齢より手習いに励み、彼此まがうばかりの酷似に達した。筆力の強い気宇壮大な筆運びは、単なる継承者の域を越えて、まさにその真髄に迫るもの。一字名は、梧(きり)、桐。この書状は、寛永9年〈1632〉8月、将軍家光の下命による乳母春日局の上洛中に書かれたもの。同19日、春日局が入京。29日、後水尾院の仙洞御所で操り人形が催されたという記録(『史料綜覧』)から、これはその誘いの手紙と思われる。この時、信尋は34歳、後水尾上皇は37歳、春日局は54歳。短い一通の手紙ながら、歴史の一齣を的確にとらえるものとして、きわめて貴重である。「二十九日の事、過分に候。隙に候間、必ず参るべく候。春日局、院参の由に候へども、我等は参らず候。かしく。返すがえす、二十九日の午剋(正午)計、参るべく候。即辰(即刻)(花押)御報」
返々廿九日午剋計可参候廿九日之事過分候隙に候間必可参候春日局院参之由候へとも我等者不参候かしく即辰(花押)御報
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Konoe Nobuhiro
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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