Object

元政筆書状

Keio Object Hub
人物
年代
制作年 AD17
タイトル
ゲンセイヒツショジョウ
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001588-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
手書き 矩形 フォント 書き込み

元政〈げんせい・1623-68〉は、江戸前期の日蓮宗の僧。姓は、菅原または石井、名は日政、元政は字(あざな)。俗称は石井吉兵衛。彦根藩主井伊直孝〈いいなおたか・1590-1659〉に仕え、御側用人として江戸藩邸にも従ったが、病気のために帰郷。たまたま日蓮聖人像を拝したのを機に、「出家得度」「父母の延命・孝養」「天台三大部の読了」の三願を立てるも、願い叶わず、再度仕官、東上を経て、慶安2年〈1649〉27歳の時に、京都妙顕寺(みょうけんじ)の日豊〈にっぽう・1600-69〉に参じ、ついに素懐(意志)を遂げることができた。明暦元年〈1655〉、山城国深草に竹葉庵を建て、両親とともに移住、法華経の研究に専念しながら、和歌・詩作にいそしみ、「深草(ふかくさ)の元政」と名乗って、風雅の生活を送った。この書状ではまず、清海を三石(みついし)に遣わしたという。三石(岡山県和気郡三石)は、蝋石の産地として古来有名の地。三石の蝋石は、軟らかく耐火性にすぐれ、坩堝(るつぼ)の材として、また石筆(せきひつ)など文房具の材として重宝された。この石を手に入れるべく清海を派遣したのであろう。また、宛名の「明(石)忠右(衛門)」から、石山(岡山城の近隣の地)の世尊院で取れた柑子(蜜柑)一籠を清海宛に贈ってきた。清海が三石に出かけて留守ゆえに、自分(元政)たちで頂戴するという。となると、清海は、「明石忠右衛門」の息子で、元政の許へ修業に出していたのではなかったか。また、重宝していた温石(おんじゃく)も返却するという。これも清海を通じてのことであろう。さらに、返し書きに見える「主膳(しゅぜん)」は、別に「荷(田)主膳」宛の書状が伝存することから、おそらく荷田主膳正信詮(かだのぶあき・国学者荷田春満〈あずままろ・1669-1736〉の父)のことではなかろうか。かれは、伏見稲荷神社の祠官。元政の深草とは近隣の地で、平素昵懇の間柄であったのではなかろうか。「十日、三石(岡山県和気郡三石)まで清海を遣り候間、此の如くに候。如何、恙無く候哉、承り度く候。温石(体を温める用具。蛇文石・軽石などを火で焼いて、布に包んで懐中する)返呈候。先日、道すがら寒気を防ぎ、その後も常に暖かく、離しがたく候へども返進候て、よく御心得候て下さるべく候。一昨日、石山世尊院より使い来り候。此の状并びに柑子(蜜柑)一籠来り候へども、柑子は清海が近くにならず(不在)候間、此方にて賞翫(食用)申し候。御報(手紙)成され候はば、便に遣わし候。来春は早々待ち入り候。天竺図(インド地図)はこの頃早や写し候大形出来候。心緒(心持ち)面展を期し候も、一二罷らず候。不悉。/返すがえす、主膳正も日々御噂までに候。以上。/朧(十二月)十七日元政(花押)/明(石)忠右(衛門)様几下」

返々主膳も日々御うハさまてにて候以上十日三石まて清海をやり候間如此候如何無恙候哉承度候温石返呈候先日ミちすから寒気をふせきそのゝちもつねにあたゝかくはなしかたく候へとも返進候てよく御心得候て可被下候一昨日石山世尊院より使来候此状并柑子一籠来候へとも柑子ハ清海かちかくにならす候間こなたにて賞翫申候御報被成候ハゝ便に可遣候来春ハ早々まち入候天竺図ハこのころはや写候大かた出来候心緒期面展候も不罷一二候不悉朧十七日元政(花押)明忠右様几右

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001588-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

画像
ライセンス

所管・分類など

所管
斯道文庫
キャンパス 三田
URL
基本分類
美術

グループのオブジェクト

OPEN DATADESIGN

Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。

オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Priest Gensei

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Priest Gensei

物理的特性

重量と数量
員数 1幅