覚寛筆書状

- 人物
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作者覚寛
- 年代
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制作年 AD14
- タイトル
- カクカンヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
覚寛〈かくかん・生没年未詳〉は、鎌倉時代の歌人で仁和寺法印。『尊卑分脈』によれば、三条源氏行宗〈みなもとのゆきむね・1064-1143〉の後裔、仁和寺法橋行賢(『新勅撰和歌集』に入集)の子とある。『新勅撰和歌集』以下の勅撰集に多数入集するほか、「道助法親王家五十首和歌」(建保6年〈1218〉~承久2年〈1220〉ごろ)や「石清水若宮歌合」(寛喜4年〈1232〉)などに出詠したことでも知られる。この書状は、藤原定家〈ふじわらのさだいえ・1162-1241〉の自筆日記「明月記」の、安貞元年〈1227〉の紙背文書として伝来したもの。同年3月1日条には「午時許法眼(覚寛)来、一日比注送卅首題内、十五首撰出、……」とあり、「道助法親王家十五首」の件で、覚寛が定家のもとを訪問するなど、両者は和歌を通じて親しく交流していた。この書状は「一条殿」すなわち一条実経〈いちじょうさねつね・1223-84。一条家の祖〉に宛てたものである。定家と実経との親交も「明月記」が伝えるところで、たまたま実経宛の覚寛の手紙が定家の手元に残っていたのであろう。その紙背を利用して定家が日記をしたためたのである。この書状の詳細は不明ながら、和歌の注付けに関するもの。安貞元年の紙背文書ということから、この書状の書写年代は、その前年の嘉禄2年〈1226〉である可能性が高い。いずれにしても、和歌を通じての三者の関係を知る貴重な一通である。「先ず雨中の仰せ、殊に畏まり存じ候。一昨日の子細尤も筆驚に候。一切不触のみ候の処、細々□注仰せ候。恐悦少なからず候。後日の沙汰に及ばず、落居せしめ候の条、神妙に候也。皆出来候の時、進覧せらるべく候由、承り候。此の一巻高覧*べきの由、懇望の者に候の間、恐れ乍ら執進候。若し一首*の事と雖も宜しく候はば、御点下さるべく候。又、僻事に候はば注付せらるべく候。随分門弟**、悉く謀るは、子細参*を期し候。恐惶謹言。/勧修付属は時々刻々変わり**驚き候事に候。此卿自り*候。/雨中御使不便候間、/五月八日覚寛/一条殿」
不便候間芯意**勧修付属ハ時々刻々変**驚□御事候自此卿□候雨中御使先雨中仰殊畏存候一昨日子細尤筆驚候一切不觸耳候之処細々□注仰候恐悦不少候不及後日沙汰令落居候之条神妙候也皆出来候之時可被進覧候由承候此一巻可*高覧之由懇望者候之間乍恐執進候若雖一首□事宜候者可被下御點候又僻事候者可被注付候随分門弟*□悉謀者子細期参□候恐惶謹言五月八日覚寛一条殿
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Priest Kakukan
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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