二条為氏筆書状

- 人物
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作者二条為氏
- 年代
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制作年 AD13
- タイトル
- ニジョウタメウジヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
二条為氏〈にじょうためうじ・1222-86〉は藤原為家〈ふじわらのためいえ・1198-1275〉の嫡男で、藤原定家〈さだいえ・1162-1241〉の孫にあたる。為氏は祖父・父の薫陶のもとに、歌道の宗家・御子左家(みこひだりけ)の後継者として成長していった。その力量は高く評価され、弘安元年〈1278〉には、亀山上皇〈かめやまじょうこう・1249-1305〉の院宣によって『続拾遺和歌集』を撰進した。極官は正二位・権大納言。弘安8年〈1285〉出家した。法名は覚阿。翌年9月14日、65歳で没した。文中の「越部庄(こしべのしょう)」は、播磨国(兵庫県)揖保郡にある荘園で、定家の父俊成〈としなり・1114-1204〉からその養女越部禅尼〈こしべのぜんに・生没年未詳〉に譲られ、禅尼の没後に為家、その子為氏へと相伝された。文面によれば、為氏は越部庄の相伝文書の正本を朝廷に進覧したらしく、詳細は不明ながら、この荘園の継承をめぐる訴訟事件があったようである。同じく為氏と異母弟為相〈ためすけ・1263-1328〉との間には、播磨国の美嚢郡細川庄についても相続争いがあり、それについて為相の母阿仏〈あぶつ・1222?-83〉が、鎌倉幕府に訴訟すべく下向途次の見聞記『十六夜日記(いざよいにっき)』を書いたことは有名。二条家(為氏)と冷泉家(為相)の争いは、単に荘園の領有権のみならず、歌道家の家学継承争いでもあった。この一幅は、徳川御三卿の一つたる田安(たやす)家の旧蔵品。文中、二影の朱印は、いずれもその所蔵の由緒を示す田安家の印である。「久広を以って、条々申さしめ候。聞こしめ給うべく候。抑も越部庄の文書の正本、尤も渡し進ずべきの由に存じ候の処、中院自り此の如く承るの間、進じ候い了んぬ。但し、去年十一月の此、禁裏へ進覧せし、勾当内侍の奉書、此の如くに候。若し万一違乱の事候わば、此の目六(目録)已下の正文の相伝の分、分明の上は正文を用いらるべく候か。謹言。十一月九日」
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識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Nijo Tameuji
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
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