後陽成天皇筆書状

- 人物
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作者後陽成天皇
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- ゴヨウゼイテンノウヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
後陽成天皇〈ごようぜいてんのう1571-1617〉は、第107代天皇。正親町天皇の子・誠仁(のぶひと)親王の第一王子で、母は勧修寺(かじゅうじ)晴子。天正14年〈1586〉、誠仁親王死去を受けて、正親町天皇の養子となり、同年11月25日即位した。初名和仁(かずひと)、慶長3年〈1598〉周仁(かたひと)と改名。豊臣秀吉・徳川家康の援助をうけて、皇室の尊厳回復につとめた。天皇は、歴朝屈指の好学の帝として名高い。和学・漢学を広く学び、みずからも『伊勢物語』『源氏物語』などを講じたという。また、慶長勅版本(けいちょうちょくはんぼん)と呼ばれる、朝鮮伝来の木活字を用いた『古文孝経』『日本書紀神代巻』『職原抄』などの古典籍を刊行した。書においては、和様・唐様の両風に通じていたことが、その遺墨によって知られる。この書状の花押は、まさしく後陽成天皇のそれにまぎれなきもの。筆致から比較的若いころのものではなかろうか。連衆の公卿を一巡した連歌を一覧した天皇は、それぞれの句の出来映えに満足の意を表す。その上、端(連歌の巻頭に付す題の部分)について、今一度吟味を重ねるよう申し送ったもの。宛名の「竹(内)門」は、天台宗の門跡寺院曼殊院(まんしゅいん)の門跡のこと(京都市左京区一乗寺竹ノ内に所在することから、竹内門跡と呼ばれる)。すなわち、天皇の弟・良恕法親王〈りょうじょほうしんのう・1574-1643〉を指す。誠仁親王の第3王子で、天正15年〈1587〉に曼殊院に入室している。おそらく、この連歌においては、奉行的立場でその進行役をつとめていたのであろう。「御一巡、取りどり殊勝の内、端、猶以って然るべく候哉。季秋(九月)二十五日竹門(竹内門跡)吟案下(花押)」
御一巡取々殊勝之内端猶以可然候哉季秋廿五日(花押)竹門吟案下
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識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Emperor Goyozei
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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