近衛基煕筆書状

- 人物
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作者近衛基煕
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- コノエモトヒロヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
近衛基熙〈このえもとひろ・1648-1722〉は、江戸中期の公卿。父は関白尚嗣(ひさつぐ)、母は後水尾天皇の皇女昭子内親王。内大臣・右大臣・左大臣を経て、元禄3年〈1690〉従一位・関白を極めた。のち、宝永6年〈1709〉には太政大臣に進んだ。和歌のほか諸芸に通じたが、とりわけ書道においては、平安朝の名筆を規範とする上代様の奥義に達し、復古和様の先駆をなした。文中「於仙洞被賀本院七十之御算」は、女帝・明正天皇〈めいしょうてんのう・1623-96〉の70歳を祝う和歌会が、仙洞、すなわち霊元上皇の御所で行われることをいう。元禄5年〈1692〉9月26日、この手紙の4日後のことである。その祝儀の新調屏風に貼るべき色紙形(賛の和歌を書くべく色紙の形に地塗りをほどこしたところ)の和歌を関白基熙(45歳)が詠進することになっていた。その和歌の草案がようやくにして出来た旨を報じたものである。『続史愚抄』によれば、この時の屏風の絵は、山本素軒(やまもとそけん)が描き、基熙の和歌は、持明院基時(じみょういんもととき・58歳)が清書の筆を執ったという。なお、当日の歌題は「鶴契遐年」(鶴は遐年を契る)であった。また、宛名の「平前中納言」は、前権中納言平松時量〈ひらまつときかず・1627-1704。66歳〉である。「漸々、冷気に赴き候と雖も、無異(無事・平穏)の事に候由承わり、悦び候。下官(基熙)、別条無く候。然らば、今度、仙洞に於いて、本院七十の御算を賀せられ候。御屏風并びに当日の懐紙の愚詠、漸く綴り出し候。巨難あるべからず候哉。吟味を加えられ候て給うべく候。当時、世務繁多に候間、再吟する能わず、別事、覚束無き事に候間、申し入るに及ばず候と雖も、遠慮無く、所存を加えられ候はば、本懐たるべく候。謹言。追って、申す。執筆、苦労たるべく候間、必ず返報は代筆を以って示さるべく候なり。九月二十二日基熙」
[端裏書]前平中納言殿基熙‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐追申執筆可為苦労候間必返報以代筆可被示候也漸々雖趣(=赴)冷気候無異事候由承悦候下官無別条候然者今度於仙洞被賀本院七十之御算候御屏風并当日懐帋愚詠漸綴出候不可有巨難候哉被加吟味候而可給候当時世務繁多多候間不能再吟別事無覚束事候間雖不及申入候無遠慮被加所存候者可為本懐候謹言九月廿二日基熙
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グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Konoe Motohiro
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1葉
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