幸仁親王筆書状
- 人物
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作者幸仁親王
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- ユキヒトシンノウヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
幸仁親王〈ゆきひとしんのう1656-99〉は、後西天皇の第二皇子。幼名は二宮、のち多賀宮と称した。寛文7年〈1667〉好仁親王〈よしひとしんのう・1603-38〉を始祖とする高松宮を相続(第2代)、同9年親王宣下により幸仁と改めた。同12年、後水尾上皇の叡旨により宮号を有栖川と改称。有栖川宮は、高松宮好仁親王が初代、良仁親王(後西天皇)が第2代、幸仁親王は第3代ということになる。親王は生来、能書の才に長じ、叔父霊元天皇より書道の伝授をうけ、当時の宮廷に比類なき名筆をもって鳴った。この手紙は、東山天皇の宮廷調度とすべき調進の屏風に貼るべき色紙形(和歌)の染筆下命を受けた親王が、清書を完了して届けた時のもの。宛名の3人は、この調進の奉行方をつとめた人々。かれらを介して天皇に進覧方を願っている様子が知られる。連名3人の最後の「愛宕大納言殿」とあるのは、愛宕通福(おたぎみちとみ)のこと。元禄7年〈1694〉12月19日に任権大納言。翌年11月16日には辞している。したがって、この手紙は元禄8年2月19日のものと判明。時に幸仁親王は一品・式部卿の官に在って40歳。宛名は順次、中御門資煕(なかみかどすけひろ・61歳)、久我通誠(こがみちざね・36歳)、愛宕通福(62歳)である。なお、返し書きに見える「持明院」は、持明院基時(じみょういんもととき・61歳)のこと。花押は「幸仁」2字そのままにも見えるが、書き馴れて、花押の意識で記載したようにも思われる。「先日、仰せ出され候御屏風の御色紙の和歌、清書せしめ、献上候。宜しく御沙汰に預かるべく候。謹言。/尚々、近く持明院へ相談せしめ候。以上。二月十九日(花押)/中御門大納言殿久我大納言殿愛宕大納言殿(花押)」
尚々ちかく持明院へ令相談候以上先日被仰出候御屏風御色紙和哥令清書献上候宜預御沙汰候謹言二月十九日(花押)中御門大納言殿久我大納言殿(花押)愛宕大納言殿
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Prince Yukihito
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
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