吉川元長筆書状

- 人物
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作者吉川元長
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- キッカワモトナガヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
吉川元長〈きっかわもとなが・1548-87〉は、吉川元春(もとはる・1530-86。毛利元就〈もうりもとなり・1497-1531〉の次男。吉川興経〈おきつね・1508-50〉に養子契約。のち元就は興経を殺害)の長男。通称少輔次郎、のち治部少輔・駿河守と称した。元長は硬派であるが文人的性格を持つ武将であった。吉川父子は毛利氏の山陰地方の軍事を受け持った。織田氏との対決が始まり、一時は北方から京都に迫る勢いをみせたが、羽柴秀吉〈はしばひでよし・1536-98〉に鳥取城を落とされ、天正10年〈1582〉、備中高松城下で講和を結び、秀吉政権下に入った。元長は九州島津征伐に出陣中、日向において病没、40歳であった。この文面には、「ここ2、3日、顔を見せないが、どうしたことか。少しは登城してはいかがか。貴殿はどこの家臣たるや」と、しばらく登城しない相手にいらだちを見せている。宛名の「上州」は、家臣の今田上野介経高〈1525-1604〉のことか。元長の人間性をうかがい知る興味深い手紙である。「一両日は面上能わず候。ちと御登城有るべく候。其元、何れの家の顔を為し候哉。上闕、意せしめ候。万々、面談を期し候、 期し候。恐々謹言。七月二十二日。治(部少輔)元長。上州参る」
[端裏書] 治[封]上州 元長 参‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐一両日者不能面上候ちと可有御登城候其元為何家顔候哉上闕者令意候万々期面談候/\恐々謹言七月廿二日元長(花押)
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Kikkawa Motonaga
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- *桐箱、紙帙、釈文
来歴
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