近衛基煕筆書状
- 人物
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作者近衛基煕
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- コノエモトヒロヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
近衛基熙〈このえもとひろ・1648-1722〉は、江戸中期の公卿。父は関白尚嗣(ひさつぐ)、母は後水尾天皇の皇女昭子内親王。内大臣・右大臣・左大臣を経て、元禄3年〈1690〉従一位・関白を極めた。のち、宝永6年〈1709〉には太政大臣に進んだ。和歌のほか諸芸に通じたが、とりわけ書道においては、平安朝の名筆を規範とする上代様の奥義に達し、復古和様の先駆をなした。書面にみえる「仏光寺」とは京都の五条坊門高倉にある、浄土真宗一派の本山である。宛名の「勧修寺大納言」は、勧修寺経慶〈かじゅうじつねよし・1644-1709〉のこと。経慶の権大納言在任は延宝5年〈1677〉閏12月1日から貞享元年〈1684〉閏12月23日である。手紙の日付が「臘月(ろうげつ・12月)廿六日」とあるので、延宝5年から12の間に書かれたものと推定することが可能。基熙30歳~43歳の筆となる。が、残念ながらそれ以上に年代をしぼることができない。「昨日は合眼候と雖も、言談能わず、残念の至りに候。御所労、如何候。退屈に存ずべくと察し入り候。下官(基熈)、異儀無く候。且又、昨日、官位の御沙汰以後、早やかに退出せしめ給い候哉。仏光寺の事、不運の事に候。指事に非ず候へども、先ず見廻と為て申し入れ候。厳寒に候間、能くよく保養せしめ給うべく候也。謹言。臘(十二月)二十六日基熙/勧修寺大納言殿基熙」
昨日者雖合眼候不能言談残念之至候御所労如何候可存退屈察入候下官無異儀候且又昨日官位御沙汰以後早令退出給候哉仏光寺事不運之事候非指事候へとも先為見廻申入候厳寒候間能々可令保養給候也謹言臘廿六日基熙 勧修寺大納言殿基熙
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Konoe Motohiro
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
- 材質・技法・形状
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材質 墨流し(藍・紫)
- 付属品
- 桐箱
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