古田織部(右筆)書状

- 人物
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作者古田織部(右筆)
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- フルタオリベ(ユウヒツ)ショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
古田織部〈ふるたおりべ・1544-1615〉は、桃山から江戸時代にかけての武将・茶人。千利休〈せんのりきゅう・1522-91〉の高弟で、織部流茶道の祖。美濃に生まれる。名は重然(しげてる、しげなりとも)、通称は左介。天正13年〈1585〉、織部正(おりべのかみ)に任ぜられ、織部と称した。父重定とともに織田信長・豊臣秀吉に仕え、茶の湯を通じて多くの諸大名や有力町衆と交わった。関ヶ原合戦以後は徳川方につき、慶長15年〈1610〉、古式の台子茶を将軍徳川秀忠に伝授して名声を不動のものにしたが、大坂夏の陣では徳川方にありながら豊臣方に内通した疑いをかけられ、自刃を命ぜられた。この手紙は、左端の部分が、伝世の間に紙面が毛羽立ち、文字が擦消しているため、宛名を判読することができない。が、内容から、歳暮の御祝儀として小袖をもらったことに対する礼手紙とわかる。差出人の名「重然」の記載により、改名した天正16年〈1588〉頃以後、織部44歳以降のものと知る。しかし、末尾に「客来候而、他筆不能具候」(来客中なので、代筆をさせたから詳しく書けない)とあり、この手紙の本文が織部の自筆でないことが明らかである。織部の代筆の筆跡として(自筆・他筆の判別のための、今後の比較資料として)きわめて貴重なものといえる。また、文中の「かたつきかんにん(=堪忍肩衝)」は伊達政宗〈だてまさむね・1567-1636〉が所持していたといわれる名物の唐物茶入のことか。これは、仙台伊達家に代々伝えられたが、大正5年〈1916〉、大阪の村山家(朝日新聞創業者)に移り、現在は香雪美術館に収蔵される。「歳暮の御祝儀として、筋(縞模様)の小袖御意に懸けられ候。忝く存じ候。是より一首申し入るべく候に、寺より里へと候哉らんにて候。面拝をもって御礼申し入るべく候。一、肩衝堪忍は成り申すべく候。茶碗、御持ち料には能くこれ有るべく候。旁、貴面の節を期し候。客来候て、他筆、具さにする能わず候。恐惶。以上。十二月二十七日重然古織部」
以上歳暮為御祝儀筋之小袖被懸御意候忝存候自是一首可申入候に自寺里へと候哉らんにて候以面拝御礼可申入候一かたつきかんにんハ成可申候茶わん御持料ニハ能可有之候旁期貴面節候客来候而他筆不能具候恐惶十二月廿七日重然(花押)古織部‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐[封]□□□□
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Furuta Oribe’s Secretary
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 桐箱のみ、他書付2枚
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