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三条西実隆筆書状

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人物
年代
制作年 AD16
タイトル
サンジョウニシサネタカヒツショジョウ
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-000325-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
手書き フォント モノクロ パターン アート

三条西実隆〈さんじょうにしさねたか・1455-1537〉は室町時代の公卿。高い教養と学識をそなえた文化人として著名な人物。内大臣公保〈きんやす・1398-1460〉の二男であるが、兄実連が夭折したため、4歳で家督を継いだ。その際に初名公世(きんせい)を公延(きんのぶ)と改名、文明元年〈1469〉の元服の時に実隆と改めた。以後昇進を重ね、永正3年〈1506〉に内大臣に至った。和漢の学や有職故実に通じ、『源氏物語』はじめ古典の考究にはげみ、一条兼良〈いちじょうかねよし・1402-81〉のあとをうけて、中世和学の興隆を着実に推進した。また、和歌においても、飯尾宗祇〈いいおそうぎ・1421-1502〉、東常縁〈とうのつねより・1401-?〉から古今伝授をうけ、豊かな歌才を発揮した。牡丹花肖柏〈ぼたんかしょうはく・1443-1527〉とは同門の間柄にあり、茶の湯で有名な武野紹鷗〈たけのじょうおう・1502-55〉は、実隆門下の一人である。実隆は書も能くし、彼の書風は三条流(逍遙院流とも)と呼ばれ、多くの追従者を出した。彼の日記『実隆公記』は室町後期の基本史料として重要。文中「御眉事」との記載を手がかりに、実隆の日記『実隆公記』を探ると、延徳2年〈1490〉4月11日条の「今日息女歯黒、眉等祝著之儀也。如形沙汰也」の記事が目にとまる。すなわち、この日、実隆の長女保子(文明12年〈1480〉十一月七日の誕生。この年11歳)の成年式たる歯黒・眉引きの儀が執り行われたのであった。「文明度……」とあるのは、保子が誕生後御五十日の祝いの際、彼女の眉引きを父たる実隆みずからが行ったことを示している。この手紙は、前者の記事に適合する。この時のものである。実隆36歳であった。なお、「被表心喪」とは、この年の正月7日に、将軍足利義政が死去、その喪に服していることをいう。宛名の部分が磨消しているのは、いかにも残念。「仰せの如く、其の後恐鬱慮外に存じ候。万端申し入れ度き子細言上候。海住(海住山寺)の事管知候。猶、不足譬量以っての外、無常の儀、驚動の思いに候。抑も彼の御眉の事、五旬中(五十日)、何となく心喪を表わさるるの儀、其の義執り申し候哉。吉服を着られ垂纓(纓を後方に垂らしたままの冠)を上げられば、今に於いて作られ候条、宜しく候哉。文明度、御指南に依り、五旬以後実隆作眉候へしと覚え候。不足と雖も、信用候事に候。其の時も再往申し談じ候へしと存じ候。猶、御思案在るべく候哉。実隆/所労に依り参らず候の間、御方参会申し候いたし候べく候。/返すがえす、御思量過ぐべからず候。(勧修寺)政顕卿昏に及び候間、委曲能わず候。御隣夜盗の沙汰に候。魂消(たまげ)候也、魂消候也。御報候やらん。条々是より重ねて申し入るべく候。実隆、恐惶謹言。乃刻実隆」

[端裏書] 実隆‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐魂消候也/\ 依所労不参候之間御方御報候やらん参会申候いたし候へく候返々政顕卿条々自是不可過御思量候及昏候間重而可申入候不能委曲候御隣夜盗之沙汰候如仰其後恐欝慮外存候実隆恐惶謹言萬端申入度子細言上候海住乃剋実隆□事管知候猶不足譬量以外無常之儀驚動之思候抑彼御眉事五旬中候何となく被表 心喪之儀其義執申候哉被着吉服○(被垂纓)上者於于今被作候条宜候哉文明度依御指南五旬以後実隆作眉候しと覚候雖不足信用候事候其時も再往申談候しと存候猶可在御思案候哉実隆

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-000325-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

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所管
斯道文庫
キャンパス 三田
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美術

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オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Sanjonishi Sanetaka

物理的特性

重量と数量
員数 1幅
付属品
紙帙、桐箱、黄包裂

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Sanjonishi Sanetaka

物理的特性

重量と数量
員数 1幅
付属品
紙帙、桐箱、黄包裂