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観世黒雪筆書状

Keio Object Hub
人物
年代
制作年 AD17
タイトル
カンゼコクセツヒツショジョウ
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-000180-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
茶色 矩形 手書き フォント

観世黒雪〈かんぜこくせつ・1566-1626〉は江戸時代初期の能楽師で、観阿弥から数えて観世流宗家の第9世。名は身愛(ただちか・忠親とも)、通称は左近大夫、のちに観世斎暮閑と名乗った。黒雪は号。能楽の名手として、当代随一の名声をうたわれた。また、室町末期以来、一様でなかった謡本(うたいぼん)の節付を統一することに力を尽くした。本阿弥光悦〈ほんあみこうえつ・1558-1637〉と交流があり、光悦流の書き手として鳴った。 宛名の「福神右殿」は、福王神右衛門盛義〈ふくおうもりよし・1560-1625〉。福王家は、観世座付脇方福王流の家元。盛義の父盛忠〈もりただ・1511-1606〉の時、織田信長〈おだのぶなが・1534-82〉の命によって観世座付となる。この手紙は、「今信州殿」より招きをうけた黒雪が、脇方の神右衛門に随伴方を依頼したもの。「今信州殿」とは、前任者がいるにもかかわらず、後から新たに任命された信濃守のことで、この時代では永井尚政〈ながいなおまさ・1587-1668〉が当てはまる。執筆年代については、永井尚政の信濃守叙任(慶長10年〈1605〉=19歳)から福王神右衛門死没(寛永2年〈1625〉)までの間とわかる。が、尚政が相応の年齢に達していたであろうことを考え合わせると、慶長〈1596~1615〉の末から元和〈1615~24〉の初めにかけてのものかと想像される。黒雪はほぼ50代であったことになる。見られるように、達者な光悦流の筆致を示している。当時、屈指の光悦流の書き手の一人たることを十二分に窺うに足る。光悦生存中における光悦流の波及を示すものとして注目される。「今朝、今信州殿、御内に御入り候由、申し来り候間、慰みに御出で候はば、彼方にて飯給い候様に、同心申すべく候間、御拵え候て、これ迄御越しあるべく候。昨日は申し承り、本望此の事に候。恐惶謹言。尚々、信濃殿へ御出候はば、今朝、同心申すべく候。未だ給わらず候て、文の由、申し候。先々着衣(着服)にて、これ迄御出候べく候。以上。正月四日。暮閑(花押)/福(王)神右(衛門)殿御宿所/観(世)左近(大夫)より」

尚々信濃殿へ御出候ハゝ今朝同心可申候未今朝今信州殿御内に給候て文之よし申候先々ちやくゑニて御入候よし申来候間慰ニこれ迄御出候へく候以上御出候ハゝ彼方ニてめし給候やうに同心可申候間御こしらへ候てこれ迄御こしあるへく候昨日ハ申承本望此事候恐惶謹言正月四日暮(花押)より福神右殿観左近御宿所

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-000180-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

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斯道文庫
キャンパス 三田
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美術

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オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Kanze Kokusetsu

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

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Letter by Kanze Kokusetsu

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