京極為兼筆書状(案文)

- 人物
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作者京極為兼
- 年代
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制作年 AD14
- タイトル
- キョウゴクタメカネヒツショジョウ(アンモン)
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
京極為兼〈きょうごくためかね・1254-1332〉は、鎌倉時代の歌人。法名は蓮覚、のち静覚に改む。京極家の祖為教〈ためのり・1227-79〉の子で、藤原為家〈ふじわらのためいえ・1197-1275〉の孫に当たる。為兼は、伏見上皇〈ふしみじょうこう・1265-1317〉に信任され政治や歌壇で活躍し、正二位・権大納言に至った。また従兄弟の二条為世〈にじょうためよ・1250-1338〉との勅撰集撰者争いに勝って、正和元年〈1312〉『玉葉和歌集』の奏覧を果たす。翌年、伏見上皇の出家にならって為兼も出家。しかし同4年〈1315〉に西園寺実兼〈さいおんじさねかね・1249-1322〉の反感を買って土佐に配流され、帰洛は果たせず河内国で淋しく没す。これは、蹴鞠に関して述べた書状の案文(下書き)。内容としては、為兼と為世との間で、祖父為家からの蹴鞠の口伝の有無をめぐって争いが生じたこと、また、弘安7年〈1284〉2月に起こった蹴鞠道の宗家・難波家の宗継と、為家以来、その道の達人と知られた御子左家との、蹴鞠の「骨法(奥義)」をめぐる対立についての経緯が記されている。当時は、技芸に優れた者が指導の中心的存在となって家業としたため、その作法は秘事口伝により伝授された。この書状は、そうした家職に関わるもめごとを物語ったものである。「蹴鞠の事、申し出で存外の由、為世卿、申され候か。祖父(為家)口伝の有無に対し、自他相論の間、弘安七年二月、為氏卿と宗継朝臣、上鞠相論の時、蹴鞠の骨法、宗継朝臣に対し、召し決せられ弁じ申すべきかの由、相国禅門(時に春宮大夫=西園寺実兼)を以て尋ね下さるの時に、入道大納言(為氏)并びに為世卿以下、為方を失うの間、為兼一人、道民部卿(為家)の口伝の次第、宗継朝臣に対し、父祖申し披らくべきの趣、兼ねて少しも弁じ申すべき所存に候哉の由、発言の時、為氏卿以下、感悦の次第、相国禅門并びに前左府(時に三位中将=九条師教)」
蹴鞠事申出存外之由為世卿被申候歟対祖父口伝之有無自他相論之間弘安七年二月為氏卿与宗継朝臣上鞠相論之時蹴鞠之骨法対宗継朝臣可被召決可弁申歟之由以相国禅門于時春宮大夫被尋下之時入道大納言并為世卿[民部卿(抹消)]以下失為方之間為兼一人入道民部卿之対宗継(口伝之次第)朝臣父祖[蹴鞠事(抹消)][委細(抹消)]可申披之趣兼可少弁申所存候哉之由発言之時為氏卿以下感悦之次第相国禅門并前左府于時三位中将
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ライセンスなど
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グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter (draft) by Kyogoku Tamekane
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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