角倉素庵筆書状

- 人物
-
作者角倉素庵
- 年代
-
制作年 AD17
- タイトル
- スミノクラソアンヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
角倉素庵〈すみのくらそあん・1571-1632〉は、江戸時代初期の京都の豪商。名は与一、諱は玄之、出家して素庵と号した。貿易商の父・了以〈りょうい・1554-1614〉の後を継いで、運送、土木、土倉(倉庫業)、貿易などに万般幅広く活躍。富裕な財力を背景に、茶の湯、能をたのしみ、高い教養を備えた町衆として自適の生活を送った。和漢の学に通じ、風雅人、数奇者としても名高い。本阿弥光悦〈ほんあみこうえつ・1558-1637〉と交友、その書は「光悦流随一」(『万宝全書』)と謳われた。また、慶長後半から元和にかけて、つまり素庵30代半ばから50歳の頃、光悦の版下で、さまざまに意匠をこらした豪華な料紙に印刷した、いわゆる嵯峨本の刊行に力を尽くした。見られるように、変転自在の達者な筆使い、書風は、まさに光悦流そのもの。弁別不能なまでに光悦に迫る筆致を展開する。「光悦流随一」を証明する遺墨であろう。宛名の「川新四」は、京の町の飛脚問屋、川辺新四郎と思われる。『本光国師日記』(元和元年〈1615〉10月24日条)に、「宗哲、道春、松右衛門殿、板内膳殿へ書状遣。後庄三にて相認。御鷹場へ之を便宜次第ニ、被遣候へと、川辺新四郎ニ渡し置也。……」とある。他人の手紙を預かって、相手方に届ける飛脚屋としての性格が彷彿する記述。この手紙の内容からも、宛名がこの川辺新四郎であった可能性は否定できない。とすると、冒頭の「旦那様」は、漢学の師・藤原惺窩(ふじわらせいか)、あるいは板倉勝重(いたくらかつしげ)あたりが想定される。「旦那樣、明日は早々御座成され候や。男の外三人申し付け候。御左右次第、これを進むべく候。次に先刻の御報の儀、今晩にても明日にても御機嫌よく御座候時分、御取り成され下さるべく候。先刻の状は取りて返り候への由仰せられ候間、此方へ返し申し候。年玉として羽重十疋にて御座候。恐惶謹言。/尚々、御用にても御機嫌よく御座候時分、□□□、我等ともに七人にて御座候。かしく。正月二十日(花押)/川新四様」
[端裏書] 川新四様‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐尚々御用にても御きけんよく御座候時分□□□我等共ニ七人ニて御座候かしく旦那樣明日者早々御座被成候や男之外三人申付候御左右次第可進之候次ニ先刻之御報之儀今晩にても明日にても御きけんよく御座候時分御とり被成可被下候先刻の状はとりてかへり候への由被仰候間此方へ返申候爲年玉はふたび十疋ニて御座候恐惶謹言正月廿日(花押)
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Suminokura Soan
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。