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里村紹巴筆書状(連歌)

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人物
年代
制作年 AD16
タイトル
サトムラジョウハヒツショジョウ
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001454-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
手書き 矩形 フォント

里村紹巴〈さとむらじょうは・1524-1602〉は、桃山時代の連歌師。臨江斎・宝珠庵・半醒子などを号した。幼少のころ興福寺の喝食(稚児)であったが、連歌師周桂(しゅうけい)に出会い、門人となって上京。周桂没後は、里村昌休(さとむらしょうきゅう)に師事、その没後、養嗣子となって里村家を継いだ。幼い昌休の子・昌叱(しょうしつ)を養育した。三条西公条〈きんえだ・1487-1563〉に和歌・古典を学び、近衛稙家〈たねいえ・1503-66〉からは古今伝授を受ける。千利休について茶道を修めた。織田信長・明智光秀・豊臣秀吉・豊臣秀次ら、時の権力者と深く結びながら、当代随一の連歌師として君臨した。『連歌至宝抄』『紹巴富士見道記』など、数多くの著作を残している。これは、紹巴がそれぞれの場所で詠んだ連歌の発句を毛利七郎兵衛尉に宛てて送った書状。宛名の人は、毛利元就の八男・毛利元康〈もとやす・1560-1601〉で、吉川元春・小早川隆景の弟である。大蔵大輔に任じ、従五位下に叙される。当時、右兵衛尉に任じていた。兄元秋(もとあき)の没後その養嗣子となり、厚狭(あつさ)毛利家の祖となった。内容は、前田玄以〈まえだげんい・1539-1602〉邸における関白豊臣秀吉の催した連歌の会、本願寺の内衆(家臣、奉公人)下間少進法印こと下間仲之(しもつまなかゆき・下間少進家の家系。天正10年10月2日に法印となっている)の居所での会、禁庭(内裏)近くの西洞院殿(西洞院時慶〈にしのとういんときよし・1552-1639〉・天正3年西洞院家を嗣ぐ)の新邸における会、讃州八嶋(香川県八島)の宗俊(連歌師か)の私邸での会、さらには、尾池清左衛門尉〈前田玄以の家臣・?-1608〉の京都二条宿所での連歌会で詠じた発句を列記して送ったものである。登場人物の吟味に加え、枯れた筆致を考慮すると、天正年間末期から文禄年間にかけて、すなわち紹巴の晩年期の筆跡と推定される。「玄以法印に於いて関白殿下御興行つきづきの常盤木見する時雨哉/本願寺内下間少進法印にして夜半に人行き交ふ橋は霜もなし/禁庭近き西洞院殿新宅に於いて常よりも庭は玉敷く霰哉/讃州八嶋宗俊雪晴れて遠島浮かぶ汀哉/尾池清左衛門尉二条宿に於いて明け渡る氷に高き河門哉/御意を得べく、愚筆を染め候。朧(十二月)八(日)紹巴/毛利七郎兵衛尉殿参る人々御中」

於玄以法印関白殿下御興行つき/\の常盤木見する時雨哉本願寺内下間少進法印にして夜半に人ゆきかふ橋は霜もなし禁庭ちかき於西洞院殿新宅常よりも庭ハ玉しく霰哉讃州八嶋宗俊雪晴て遠嶋うかふ汀哉尾池清左衛門尉於二条宿明わたる氷に高き河門哉可得御意染愚筆候朧八巴毛利七郎兵衛尉殿参人々御中

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001454-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

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斯道文庫
キャンパス 三田
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美術

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オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Satomura Joha

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

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タイトル(英題)
Letter by Satomura Joha

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員数 1幅