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片桐石州筆消息

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人物
年代
制作年 AD17
タイトル
カタギリセキシュウヒツショウソク
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001012-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
木材 矩形 フォント パターン

片桐石州〈かたぎりせきしゅう・1605-73〉は、江戸時代前期の大名茶人。名は貞昌(さだまさ)だが、ふつうは、寛永元年〈1624〉に叙任した石見守(いわみのかみ)の略称である「石州公」を通称する。同4年、父貞隆の遺領を継いで大和小泉(奈良県大和郡山市中西部)藩主となった。幕府の命により京都・知恩院の普請奉行となって上洛し、小堀遠州や金森宗和、松花堂昭乗などと茶道を通じて親交をもった。茶道は千利休門下の桑山宗仙〈くわやまそうせん・1560-1632〉に学び、のちに石州流の一派を立てた。小堀遠州のあとをうけて、徳川将軍家の茶道師範となる。これにより、茶道六宗匠(村田珠光・武野紹鴎・千利休・古田織部・小堀遠州・片桐石州)の一人となった。武家茶道の大家であり、かつ庭園にも優れた見識をもったことから、石州好みの庭園も知られている。この書状は、歳末にあたり、病床に臥す大塚平左衛門に宛てた見舞状。侍医亭庵からの報告によれば、徐々に回復しているとのこと。しかしながら、まだまだ養生第一を訴え、元旦早々の出仕も急ぐ必要のない旨を述べる。きわめて相手を気遣った調子から、おそらく大塚平左衛門は、石州に近侍した藩の老臣と推量される。その書が利休の書風に似通うのは、千利休の長男・道安(どうあん)の弟子、桑山宗仙に師事したことによるものであろうか。「気色よく候由、亭庵(医者)に様子相尋ね候へば、脈もよく、熱気も良く冷め申す由に候。今明日(今日、明日)、風にあたり申さず候様に仕り候はば、別義これ有るまじく候。明夕(明日の夕方)礼に出で候へばよく候。去り乍ら、元日は早天(早朝)に用意仕り候はでは、成るまじく候間、其の段、如何と存じ候わば、四つ時分(午前10時頃)、与力衆、出仕の時分にも、然るべく候。嶋治兵衛も、惣じて並の出仕罷り成るまじき由に候故、遅く出で候様にと申し候。其の時分一所(緒)にても苦しからず候。将又、文豆(えんどう豆)の飯、快く食べ申され候由、満足せしめ候。内儀(奥様)は如何申し候や。小豆よりは定めて劣り候と申すべくと推量せしめ候。次で三日、江戸への状着き申し候義、成らず候わば、十日に十右衛門罷り下り候節にても苦しからず候。去り乍ら、文数多く、これ無く候はば、書き申し候義も成り申すべく候事、昨日申し候通り、大坂への御状、今朝、遣わし申し候哉。已上。(12月)二十九(日)/大塚平左衛門殿参る石見」

気色よく候由亭庵ニ様子相尋候へハ脉もよくねつきもよくさめ申由に候今明日風ニあたり不申候様ニ仕候ハゝ別義有之ましく候明夕礼ニ出候ヘハよく候乍去元日ハ早天ニ用意仕候ハてハなるまじく候間其段如何と存候ハゝ四ツ時分与力衆出仕之時分ニも可然候嶋治兵衛も惣なミの出仕罷成ましき由に候故おそく出候様ニと申候其時分一所にても不苦候將又ふんとうのめしこゝろよくたへ被申候由令満足候内儀ハ如何申候やあつきよりハ定而おとり候と可申と令推量候次三日江戸へ之状つき申候義ならす候ハゝ十日ニ十右衛門罷下候節にても不苦候乍去文数多ク無之候ハゝかき申候義もなり可申候事昨日申候通大坂への御状今朝つかハし申候哉已上廿九大塚平左衛門殿石見まいる

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001012-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

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所管
斯道文庫
キャンパス 三田
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美術

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オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Katagiri Sekishu

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

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タイトル(英題)
Letter by Katagiri Sekishu

物理的特性

重量と数量
員数 1幅