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榛谷五郎行重書状

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人物
年代
制作年 鎌倉時代初期(13世紀)
タイトル
ハンガヤユキシゲショジョウ
寸法
29.0×43.6
材質・技法・形状
紙本墨書
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001220-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
木材 手書き 生命体 フォント 書き込み

榛谷五郎行重〈はんがやごろうゆきしげ・生没年未詳〉は、源平の合戦で源氏武士として参戦したことが知られる人物。現・横浜市旭区二俣川から保土ヶ谷区にかけての地域に所在した榛谷の土豪で、このあたりに所在した榛谷御厨(所領)は保安3年〈1122〉伊勢神宮の内宮領となっていた。伝記について詳細は不明だが、『平家物語』(巻第九・三草勢揃事)に、一の谷の合戦の源範頼〈みなもとののりより・?-1193〉率いる軍勢の一員として「榛谷四郎重朝、同五郎行重」の記載が見える。また、『源平盛衰記』には、「武蔵国住人榛谷四郎重朝」「榛谷四郎重朝、同森五郎行重、共に稲毛三郎重成が舎弟」とある。また『吾妻鏡』(元暦元年〈1184〉2月5日条)にも同じく、一の谷合戦の大手将軍蒲冠者範頼の軍勢の中に、「稲毛三郎重成、同四郎重朝、同五郎行重」の名が見えている。さらに、建久元年〈1190〉11月7日、東大寺大仏再建供養に参列のために上洛した右大将源頼朝〈みなもとのよりとも・1147-99〉の随兵として、「小山田四郎、小山田五郎(=榛谷五郎行重)」の名が記されている。この手紙は、在京中の行重が関東に下向すると聞いた朋輩に、装束や籠手・弓矢の具足を贈った時の手紙。大ぶりな文字の結構、流麗な筆跡に、文雅を解した関東武士の一面をうかがうことができる。なお、これは紙背文書として今日まで伝存したもので、裏面の余白を再利用して、文書をしたためた跡(小さな漢字)が透けて見えている。「東国御下向の事、見参に入り、委細申し承り候の条、本懐に候。指打着、小手(籠手)一具、弓、征矢、これを進じ候。且、使いを以て申さしめ候。恐々謹言。九月十日。行重(花押)」

東國御下向事入見参委細申承候之条本懐候指打着小手一具弓征矢進之候且以使令申候恐々謹言九月十日行重 (花押)

 行重なる在京の人物が、朋輩の関東下向の餞別として弓道具一式を贈った折の書状で、2代朝倉茂入(生没年不詳)の極札に「榛谷五郎行重」筆とある。坂東平氏秩父氏流の小山田有重(生没年不詳)の息で、『吾妻鏡』寿永三年(1184)二月五日条では源範頼(生没年不詳)の軍勢として(稲毛姓)、建久元年(1190)十一月七日の源頼朝(1147–99)上洛や、同六年三月十日の頼朝の東大寺供養の行列にもその名(小山田姓)が見える。『平家物語』(覚一本)巻第9「三草勢揃事」にも範頼軍に「同(榛谷)五郎行重」がおり、『源平盛衰記』巻第36「源氏勢沙汰事」では「森五郎行重」と見える。坂東武者にしては洗練された文字であるが、父は平家郎党で在京経験もある人物であり、行重も青年時の在京経験があるのかもしれない。裏面の漢字が透けており、巻子装の書物の紙背文書として伝存したものとわかる。書家飯島春敬(1906–66)の翻字を付す。箱書は小松茂美博士(1925–2010)である。同時期の行重名の人物は複数確認できるので、今後のさらなる検討が必要である。(佐々木)
文字景 —— センチュリー赤尾コレクションの名品にみる文と象」展(2021.4 慶應義塾ミュージアム・コモンズ)図録 掲載

オブジェクトの概要

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001220-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

画像
ライセンス

所管・分類など

所管
斯道文庫
キャンパス 三田
URL
基本分類
美術

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オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Hangaya Yukishige

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Hangaya Yukishige

物理的特性

重量と数量
員数 1幅