北条泰時筆書状

- 人物
-
作者北条泰時
- 年代
-
制作年 AD13
- タイトル
- ホウジョウヤストキヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
北条泰時〈ほうじょうやすとき・1183-1242〉は鎌倉幕府の第3代執権。承久の乱後、京都に六波羅館(のちの六波羅探題)職を置き、西国に幕府の勢力を強めた。また、貞永元年〈1232〉には『御成敗式目』というはじめての武家法律を作らせ、以後の武家政治の規範となった。この書状は刑部僧正房(ぎょうぶのそうじょうぼう。仁和寺の大僧正で、後鳥羽院御持僧をつとめた長厳〈ちょうげん・?-1228〉のこと。刑部僧正と号した)の所領に関することと、最勝光院(後白河女御・建春門院〈けんしゅんもんいん・1142-76〉の御願寺)の訴訟などの処理に対して醍醐寺僧・道厳法印(長厳の子)と長能僧都(仁和寺僧・石山座主。一条能保〈いちじょうよしやす・1147-1197〉の子か)の意見を述べたもの(詳細は不明)。この手紙は、泰時が武蔵守を務めていること、かつ、刑部僧正が承久の乱後に配流されてからの所領問題を記しているものとすれば、承久3年〈1221〉以後の執筆と推察される。宛名の左京権大夫が誰であるかは不明。「刑部僧正房の地、遺領等、悉く返付せらるべきの由、先度申され候了んぬ。最勝光院以下の事、道厳法印の書状、[長能僧都の申状を副えて、具さに書く]これを進上す。元久の勅約に任せ、沙汰申さしめ給うべく候哉。恐惶謹言。八月二十一日/武蔵守泰時/進上左京権大夫殿」
刑部僧正房地遺領等悉可被返付之由先度被申候了最勝光院以下事道厳法印書状副長能僧都申状具書進上之任元久勅約可令申沙汰給候哉恐惶謹言八月廿一日武蔵守泰時進上左京権大夫殿
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Hojo Yasutoki
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。