策彦周良筆書状

- 人物
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作者策彦周良
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- サクゲンシュウリョウヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
策彦周良〈さくげんしゅうりょう・1501-79〉は、室町時代の禅僧。諱は周良(しゅうりょう)、号は怡斎(いさい)、謙斎(けんさい)。管領細川家の重臣・井上宗信〈いのうえむねのぶ・生没年未詳〉の第三子で、鹿苑寺の心翁等安〈しんのうとうあん・1450-1523〉に師事し、18歳のとき天龍寺で剃髪した。大内義隆〈おおうちよしたか・1507-51〉の主導した明国への進貢貿易において、天文8年〈1539〉には遣明副使、同16年〈1547〉には正使として活躍。多くの珍書を将来し、また、記録として『策彦入明記(さくげんにゅうみんき)』をのこす。詩文に長じ、明の文人との交流も深く、五山文学末期の巨匠として著名である。これは、策彦が天龍寺の塔頭妙智院(みょうちいん・策彦は同院の第三代住持)から差し出した、歳暮の礼手紙。祝儀として銀銭一封を贈られたことに対する謝礼がこめられている。宛名の「大善院」は、愛宕上之坊大善院住僧・宥源〈ゆうげん・生没年未詳〉のことか。宥源は「愛宕百韻」などで里村紹巴〈さとむらじょうは・1524-1602〉・明智光秀〈あけちみつひで・1528?-82〉らと連歌を交わし、一方の策彦も、光秀の名(村井貞勝〈むらいさだかつ・?-1582〉と連署)で妙智院領が安堵され(『妙智院文書』)、紹巴とも親交があった。両者は、連歌を介したつながりがあったのであろう。なお、返し書きに「芸州毛利方」とあるのは毛利元就〈もうりもとなり・1497-1571〉のことである。「仰せの如く歳暮の御慶珍重に候。仍って、爰許重宝の鳥銀壱荷贈り下され候。御懇の芳情、謝詞を尽くし難く候。春来早々、拝晤を以て嘉祥申し入るべく候。恐惶謹言。又、芸州(安芸国=広島県)毛利方へ差し越され候両人、春は軈(やが)て然るべく御左右有るべく候。かしく。蜡月(さげつ・十二月)晦日。周良(花押)。妙智院周良/大善院まいる尊報」
御左右 又芸州毛利方へ被差可有候かしく越候両人春者軈而可然如仰歳暮之御慶珍重候仍爰許重寶之鳥銀壱荷被贈下候御懇之芳情難尽謝詞候春来早々以拝晤嘉祥可申入候恐惶謹言蜡月晦日周良(花押)妙智院大善院参 周良 尊報
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グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Sakugen Shuryo
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
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