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近衛尚通筆書状

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人物
年代
制作年 AD15
タイトル
コノエヒサミチヒツショジョウ
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001648-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
ブランチ ジェスチャー フォント 矩形 小枝

近衛尚通〈このえひさみち・1472-1544〉は、室町時代末期の公卿。後法興院近衛政家〈まさいえ・1444-1505〉の嫡男として、近衛家14代を嗣ぐ。後法成寺殿と称された。文明16年〈1484〉わずか13歳で権中納言、翌年権大納言、延徳2年〈1490〉右大臣、明応2年〈1493〉には関白に進み、永正11年〈1514〉には太政大臣となる。天文2年〈1533〉出家して大証(だいしょう)を号した。とくに歌人として名高く、三条西実隆・同公条らの公家歌人、細川高国・大内義興らの武家歌人、宗長・宗碩らの連歌師たちと親しく交わり、しばしば自邸で歌会・連歌会を催している。日記『尚通公記』(陽明文庫に自筆本が伝存)は、当時の歌壇の動向を知る重要な史料でもある。また、書にも秀で、当時、流行の飛鳥井流の影響をうけながら、尚通流の流祖として、能書家としても知られる。寛永の三筆の一人・近衛信尹〈のぶただ・1565-1614〉は、かれの曾孫である。 この書状は、連歌師宗牧〈そうぼく・?-1545〉にあてたもの。宗牧は、宗碩没後の連歌界の第一人者として活躍、連歌宗匠にもなった当時の代表的連歌師。尚通との親密なる関係が、『尚通公記』によっても知られる。同日記中、嘉禄2年〈1529〉から天文5年〈1536〉の8年間(うち2年間宗牧は京都を離れ旅に出ている)にじつに104回も尚通邸を訪れた記録を残している。こうした中に、この書状に見えるような歌書の貸し借りがあったのであろう。両者の真昵なる交わりを証明する一通である。枯れた筆致から、尚通60歳前後の筆跡と推定される。「昨夜は緩々(ゆるゆる)と面会を得、大悦少なからず候。其の砌、御約諾申し置き候歌書、今日借用申したく候。不尽。/尚々、歌書は五、六冊ばかりにて、よろしく候べく候。正月七日尚通/宰相殿参る尚通」

尚々哥書者昨夜者緩々得面五六冊斗ニ而會大悦不少候其砌宜敷候へく候御約諾申置候哥書今日借用申度候不尽正月七日尚通宰相殿まいる尚通

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001648-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

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所管
斯道文庫
キャンパス 三田
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オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Konoe Hisamichi

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

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Letter by Konoe Hisamichi

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員数 1幅