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松尾芭蕉筆書状

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人物
年代
制作年 AD17
タイトル
マツオバショウヒツショジョウ
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001937-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
手書き 矩形 木材 フォント アート

松尾芭蕉〈まつおばしょう・1644-94〉は、江戸時代前期の俳人。伊賀国上野の人。幼名は、金作・半七・藤七郎などで、寛文年間〈1661~73〉は、宗房と号した。「芭蕉」のほかにも、桃青(とうせい)・釣月軒(ちょうげつけん)など、十種に近い別号をもつ。もとは上野藩の侍大将藤堂良精〈とうどうよしきよ・?-1674〉に仕え、その三男良忠〈よしただ=蝉吟・1642-66〉の近習であった。が、のち、京都に出て、貞門俳諧(松永貞徳〈まつながていとく・1571-1654〉を祖とする俳諧の流派)を北村季吟〈きたむらきぎん・1625-1705〉に、書を北向雲竹〈きたむきうんちく・1632-1703〉に学び、延宝8年〈1680〉より江戸深川の芭蕉庵に住した。やがて、俳諧の旅に出、『野ざらし紀行』『笈の小文』『奥の細道』などの名文を残した。さび・しおり・細み・軽みなどに代表される蕉風俳諧を確立し、多くの門人を輩出した。榎本其角〈えのもときかく・1661-1707〉、向井去来〈むかいきょらい・1651-1704〉ら蕉門十哲はとくに有名。また、その最期は、元禄7年10月、芭蕉51歳。大坂の度会園女〈わたらいそのめ・1664-1726〉方での合同句会の後、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を詠んでまもなくのことであった。『芭蕉書簡集』に、元禄4年〈1691・48歳〉4月10日、怒誰(どすい=高橋喜兵衛。蕉門の一人。同じく蕉門の菅沼曲水〈すがぬまきょくすい・1659-1717〉の弟)に送った書状がある。これに、同じ「きみやてふ…」の句がみえるところから、この書状も、同じく怒誰に宛てた礼状と知る。「きみやてふ…」の歌は、『荘子』の斉物論にある、「胡蝶之夢」をふまえた句。荘子が、夢で胡蝶となり、楽しんで其の己なるか胡蝶なるかを知らなかったという故事から、物我の別を忘れるたとえ、または人生のはかないことをいう。蝶と荘子、怒誰と自分とを重ね合せての句と思われる。「一昨日は、紙面(御手紙)下され拝見申し候。御発句、誠に近比に無き品にて御座候。御厚志の儀、察し入り候。一昨日、近所へ罷り出で候間、御伝の御報延引、御免成さるべく候。御咄しの御方より度々御文下され、何と申して、申し承るべくと、礼申し候。案の事、申し候。いづれ何となく書き、又々、是等書き入れ申し候。/君やてふ(蝶)我は荘子の夢心/此の所、能々(よくよく)、御許願へ入り候。我等事も御返事に困り申し候。明後日、御揃いの由、其の時万用申し述ぶべく候。右、御礼等延引の申し訳。早々。謹言。四月十一日芭蕉」

一昨日はハ紙面被下拝見申候御発句誠ニ近比ニ無き品ニて御座候御厚志之儀察入候一昨日近所へ罷出候間御伝御報延引御免可被成候御咄し之御方より度/\御文被下何与申て可申承与礼申候案之事申候いつれ何と無く書又々是等書入申候きミやてふ我は荘子の夢心此所能/\御許ねかへ入候我等事も御返事ニこまり申候明後日御揃之由其時萬用可申述候右御礼等延引之申訳早々謹言四月十一日はせを

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001937-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

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斯道文庫
キャンパス 三田
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オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Matsuo Basho

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

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Letter by Matsuo Basho

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