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古田織部(右筆)消息

Keio Object Hub
人物
年代
制作年 AD16
タイトル
フルタオリベ(ユウヒツ)ショウソク
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-001318-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
手書き フォント アート モノクロ 平行

古田織部〈ふるたおりべ・1544-1615〉は、桃山から江戸時代にかけての武将・茶人。千利休〈せんのりきゅう・1522-91〉の高弟で、織部流茶道の祖。美濃に生まれる。名は重然(しげてる、しげなりとも)、通称は左介。天正13年〈1585〉、織部正(おりべのかみ)に任ぜられ、織部と称した。父重定とともに織田信長・豊臣秀吉に仕え、茶の湯を通じて多くの諸大名や有力町衆と交わった。関ヶ原合戦以後は徳川方につき、慶長15年〈1610〉、古式の台子茶を将軍徳川秀忠に伝授して名声を不動のものにしたが、大坂夏の陣では徳川方にありながら豊臣方に内通した疑いをかけられ、自刃を命ぜられた。これは、「羽右近」すなわち羽柴右近(はしばうこん)宛ての書状。『寛政重修諸家譜』により羽柴姓を名乗って右近を称した人物を検索、織部と同時代となると、森右近大夫忠政〈もりただまさ・1570-1634〉が該当する。忠政は織田信長の家臣・森可成〈よしなり・1523-70〉の子で、森蘭丸〈らんまる・1565-82〉の実弟にあたる。秀吉に仕え美濃金山七万石を領し、天正13年〈1585〉従五位下に叙され、右近大夫を称した。同15年2月従四位下・侍従に進み、羽柴姓の称号を与えられた。秀吉没後は、家康・秀忠に従い、美作津山藩主となっている。この文面は、忠政より見せられた茶入(ちゃいれ。ここでは漆塗りの棗であろう)について、牙蓋(げぶた)・仕覆(しふく)の裂地はそのままでよいが、連(かがり・鎖とも。茶入を包む袋の口を鎖のようにかがり紐を通して締める部分)の取り替えをすすめる。また、破損部分を、当時の棗作りの名人で、塗りによる修繕の名家でもある藤重藤元〈ふじしげとうげん・生没年未詳〉に任せること、また、「朱き盆」(朱塗りの根来塗りの盆。茶入を乗せるのに使用)についても、いずれも、仔細は和久是安〈わくぜあん・半左衛門とも・?-1638〉を通じて実行すべきを報じている。是安は、秀吉の右筆・和久宗是〈そうぜ・1535-1615〉の子で、秀吉・秀頼・伊達政宗に仕えた武将であり、書道史では、近衛信尹の三藐院(さんみゃくいん)流の能書として知られる。当時の茶道具の取り扱いの実態をうかがう好資料でもある。書風から、本文は織部の右筆の筆。「重然(花押)」のみが織部の自筆部分である。「重ねて御札拝見申し候。御茶入見申し候て、見替え申し候。御仕合、珍重に存じ候。然らば、蓋の事、則ち申し付け候。袋の裂は、今の御袋、大略御座候を、連遣わし取り替えさせ申すべく候。繕いの所は、明日明く成り候て、藤重藤元召し寄せ見せ申すべく候。何れも是安へ申し入れ候。立居罷り成らず候。却って是安さへ御用に懸けず候。朱き盆見申し候。大略御座候も、何れも是安に申し入れ候て、一二にするに能わず候。恐惶謹言。十月三日重然/羽(柴)右近様/御報古田織部重然」

重而御札拝見申候御茶入見申候而見替申候御仕合珍重存候然者ふたの事則申付候袋之きれハ今の御袋大略御座候をつかり遣取替させ可申候つくろいの所ハ明日あかく成候而藤重藤元召寄見せ可申候何も是安へ申入候立居不罷成候却而是安さへ不懸御用候あかき盆見申候大略御座候も何も是安ニ申入候而不能一二候恐惶謹言十月三日重然(花押) 古田織部羽右近様御報 重然

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-001318-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

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斯道文庫
キャンパス 三田
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美術

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オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Furuta Oribe’s Secretary

物理的特性

重量と数量
員数 1幅

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