霊元天皇筆書状
- 人物
-
作者霊元天皇
- 年代
-
制作年 AD17
- タイトル
- レイゲンテンノウヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
霊元天皇〈れいげんてんのう・1654-1732〉は後水尾天皇〈ごみずのおてんのう・1596-1680〉の第19皇子。諱名は識仁、幼称は高貴宮。寛文3年〈1663〉即位、在位24年、貞享4年〈1687〉東山天皇〈ひがしやまてんのう・1675-1709〉に譲位、その後元禄6年〈1693〉まで院政、正徳3年〈1713〉落飾、享保17年に79歳で死去。とくに、久しく中絶していた大嘗祭・立太子式などの朝儀の復興に尽力したことで知られる。文芸の才が豊かな天皇で、とりわけ歌道に天賦の才能を発揮、一代の詠歌は1600首、撰著も30を数えるという。さらに、歴代屈指の能書帝でもあった。父・後水尾天皇、兄・後西天皇〈ごさいてんのう・1637-85〉の影響をうけながら独自の書風を確立、霊元院流と呼ばれて尊重された。この手紙は、難波宗量〈なんばむねかず・1642-1704〉に宛てたもの。年代を決すべき徴証は何もないが、登場する「花山」は、正二位・内大臣の花山院定誠〈かざんいんさだのぶ・1640-1704〉、「五条」は、従四位下・大学頭の五条為致〈ごじょうためむね・1649-1719〉、もしくはもしくはその養子で従五位上・侍従の為房〈ためふさ・1672-89〉のことであろう。前日に相談した用件を花山院に伝達したか否かを確認したもの。闊達自在の筆致は、能書の面目躍如たるものがある。見られる独特の結構(文字の構え)は、霊元院流の特徴である。「昨日、申し談じ候儀、花山(院)へ具さに相語られ候哉、如何。委しくは明日、聞き申すべく候えども、先々、如何と心元無さ、此の如くに候。又、五条が事、今日にても、明後日にても申し渡すべく候。我が意、花山へ申し伝えらるべく候なり。尚々、相続くの事は、重ねて日を定むべく候なり。四日。難波殿/(花押)」
尚々相続之事ハ重而可定日候也昨日申談候義(儀)花山へ四日具被相語候哉如何委ハ明日可聞申候へとも先々如何と心元なさ如此候又五条事今日にても明後日ニても可申渡候我意花山ヘ可被申伝候也難波殿(花押)
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Emperor Reigen
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。