林羅山筆書状

- 人物
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作者林羅山(道春)
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- ハヤシラザンヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
林羅山〈はやしらざん・1583-1657〉は、江戸前期の儒者。名は信勝、字は子信。法名道春(どうしゅん)。少年期には京都・建仁寺の禅僧について学んだが、慶長9年〈1604〉藤原惺窩〈ふじわらせいか・1561-1619〉に師事、羅山は、師・惺窩が命名した儒学者としての名である。早くから朱子学に深く心を潜め、尋常ならざる博識であったという。翌年には二条城で徳川家康〈とくがわいえやす・1542-1616〉に謁見、命により僧形(剃髪)となり道春と称した。やがて、江戸に下向して、以来、徳川幕府歴代将軍の侍講をつとめた。朝鮮通信史の応接、文書・諸法度の起草、史書の編纂など、幕府の中での地位はゆるぎないものにした。寛永6年〈1629〉民部卿法印(四位相当)に叙任、翌年には、江戸上野忍岡に屋敷が与えられ、家塾(のちの昌平黌)を始める。が、明暦の大火で江戸城中の書物を焼失した失意の中に病死。75歳であった。この書状は、借りていた「呪願文」の返却に際して、答礼に夏用の帷子(かたびら)を贈ったときの添状。宛名の「鳥居小路式部卿(とりいこうじしきぶきょう)」は、青蓮院門跡に仕えた坊官。当代は、経秀〈つねひで・1573-1654〉・経音〈つねなり・1598-1653〉父子である。門跡は尊純法親王〈そんじゅんほうしんのう・1591-1653〉。よって、この手紙は鳥居小路式部卿を通じて尊純法親王に差し出したものである。じつは、寛永13年〈1636〉4月17日から3日間、日光東照宮で、東照宮大造営成っての大法会が繰り広げられた。19日は御本地薬師堂の供養。導師は天海僧正、呪願師は尊純法親王であった。法親王が江戸に帰ったのが5月2日。おそらくこの時、記録作成に当たった羅山は、尊純法親王(46歳)から呪願文を借りていたのであろう。羅山54歳であった。となると、鳥居小路は経音(39歳)がふさわしい。「一昨晩の呪願文、返進仕り候。此方、校合仕り、忝なく存じ候。御請け取り、仰する所に候。仍って、是式(この品)却って如何と存じ候へども、時分(時節)の物に候間、帷子三つの内、単物一つ、進上仕り候。御門跡様へ御次を以って、然るべき様に御披露、頼み入り候。何れも伺候の節を期し候。恐々謹言。/猶々、先ず以って昨日は御登城、目出度く存じ候。以上。五月九日道春(花押)/鳥居小路式部卿殿」
[端裏書]民部卿法印道春………………………………………尚々先以昨日者御登城目出度存候以上一昨晩之呪願文返進仕候此方校合仕忝存候御請取所仰候仍是式却而如何存候へとも時分之物ニ候間帷子三之内単物壱進上仕候御門跡様へ以御次可然様ニ御披露頼入候何も期伺候之節候恐々謹言五月九日道春(花押)鳥居小路式部卿殿
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ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Hayashi Razan
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1葉
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